賽の河原とは、地蔵や小石塔が建てられ葬送が行われた山城国佐比河原(桂川と鴨川の合流点)に由来するもと云われているが民間信仰の道祖神「賽の神」と習合したとされています。
文献によっては「佐井」「佐居」「西院」のこの三つの漢字が登場するが、何時の頃からか現在の西院になったようである。平安時代初期 第53代淳和天皇の離宮南地院(西院)営まれていた。平安時代中期右京が衰退し荒廃し付近は広い河原となり「西院の河原」と呼ばれた。とも記録されています。
空也上人の生きた平安時代中期の西院の河原には、多くの捨て子が置き去りにされたり、子供の亡骸が遺棄されるなど、凄惨な状態であったという。空也上人はそれを哀れみ、石の地蔵菩薩を刻み供養したという。その地蔵のひとつが、西院駅近くの高山寺(こうさんじ)にある水子供養地蔵である。また空也上人は、それらの様を眼にして「西院河原地蔵和讃」を編み出し唱えたという。
NIKON D3 AF-S Nikkor 24-70mmf2.8 G ED
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