スキップしてメイン コンテンツに移動

芦屋川 桜開花






芦屋川両岸のソメイヨシノがようやく満開となりました。曇りがちでしたが散策をかねて今年もレンズを向けて撮影を楽しみました。
六甲の山並みを背景に開森橋付近からの桜並木はこの風景を楽しむために訪問する人も多くこの桜のシーズン渋滞すること必然で車では通行は避けています。

NIKON D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2



コメント

このブログの人気の投稿

芦屋の邸宅 六麓荘町の街並み

自宅近くにある豪邸のある町ですが訪れる機会も少なく時折散策することもありますが歩く人も少ないのですが最近は景気も上向きか改築される家が多くなって変化していいるようです。  sony   NEX-5   E18-55      F3.5-5.6   OSS     

芦屋だんじりの歴史

戦前まで芦屋市内には8基のだんじりがあった。打出(かっては4基)、津知、三条の旧村落に1基、芦屋村の山芦屋、東芦屋 西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋の5集落の5基だった。 これらのうち、三条、津知の両村は近世以前、本庄9ケ村と称して現在の神戸市東灘区区域の村々(森 中野 小路 小路 北畑 田辺 深江青木)とともに保久良神社の氏子として、古くは5月13,14日の祭にだんじりを曳いていた。 打出のだんじりは10月17日に打出天神社の祭に、他の5基は10月15,16日の芦屋神社の祭に巡行が行われた。 このうち山芦屋、打出の2基は現存する。津知、西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋のだんじりは戦災で焼失し、東芦屋は解体、三条は売却された。 打出のだんじりは、近年まで天神社の祭日に境内南方のだんじり倉から出されて飾りつけられていたが、ここ数年は巡行が有志の手で復活された。  打出地車 翠ケ丘町 打出地車 親王塚町 一方山芦屋では、交通事情や曳き手不足で昭和36年から48年には地車曳きは断続的になった。しかし昭和48年山之町地車愛好会が結成され、今日では10月15,16日にもっとも近い土曜、日曜日に市内巡行が続けられている。山之町のだんじりは、明治9年製で明治40年頃兵庫区から購入されたもので、正面には素戔嗚尊ま大蛇退治、泥幕には義経の八艘跳や近江八景 脇障子には源平の敦盛と熊谷などの彫刻を持っている。また後方の小屋根の下には、賎ケ岳の戦いや加藤清正の虎退治が彫られている。だんじりは、昭和53年に大修理が行われた。また、装飾幕が2枚あり、古い方には龍や牛若丸、新しいのは南北朝の忠心(楠木正成 新田義貞 児島高徳)の図が描かれている。   山之町地車  阪神芦屋駅前 山之町地車  精道町 だんじり内では、太鼓 2丁鐘 半鐘が入り地曳きに際して、出発、廻る、前進、後退、宮入り 地囃子 の六種だんじり囃子が奏される。 1979年当時は芦屋市のだんじりは2基が現存していた。と30年近くの古い資料ではあるが芦屋の生活文化史(1979)にだんじりの歴史が記録されている。 その後の推移として記録すると 打出地車、打出地車愛好会が運営、神戸型。昭和9年(1934)10月16日、新調入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は

神戸電鉄鈴蘭台一本松踏切鉄道画像

神戸電鉄は輸送人員が長期にわたり減少傾向にあり、2011年度は27億円の赤字で経営改善のため設備投資を低い水準に抑制せざるを得ない状況にあり4両編成の車両もワンマン運転である。乗車券は回収されず駅での対応する都市型ワンマン運転となっています。経営改善のため粟生線の廃止も検討されています。 また一方では古びた車両も多く見られ老朽化施設が多く施設の更新改良が進展していないように見かけます。 このため阪急阪神グループとして神戸電鉄の安全確保の為、国の補助制度を利用して施設改良を行い、鉄道を近代化し経営・サービスを改善することがすすめられているとのことですが鉄道経営は大変な時代となっているようです。 NIKON   D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2