昭和初期、大阪は“東洋のマンチェスター”とうたわれた。日本が紡績業でイギリスを抑え、綿製品輸出世界一となった。その賞賛の記念碑的な象徴として、故岡常夫東洋紡専務の遺言として寄付された100万円と業界からの50万円の寄付により、会館が着工された。
大阪の代表的建築家・渡辺 節氏が設計、1931年(昭和6年)竣工された。同時期行われた大阪城再建費用は48万円。この綿業会館がいかに贅を尽くした建築物かがうかがえる。世界各国の様式を取り入れた会館は、優雅かつ荘重な各室の意匠とともに国の重要文化財として、この地で今なお美しい風格を放っている。激動の昭和、戦禍、大震災、すべてをくぐり抜け重厚かつ気品あ品格を今に残しています。
阪神間では重厚で格式のある上質で機能的な建築物は全て民間企業のものである。行政の建物は箱物と称されるものが多くその格差は大きく見るに耐えない建物が多いのは何故だろうか。
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