神戸市三宮町に鎮座する神社で 一宮から八宮までの神社の中の三柱目に当たり 祭神は 天照大御神の御子である 女神 湍津姫命を祀る。当社は 周辺の「三宮」という地名の由来にもなっている。
近代的なビルに囲まれてかっての面影は見られないのですが神戸開港の複雑な歴史が偲ばれる地で近くをあるく際には必ず参拝しています。
航海の安全と商工業の繁栄を守る神として信仰されていますが創祀されたかなどについては極め難い神社です境内に源平史跡「河原霊社」や「史蹟 神戸事件発生地碑」と当時の大砲が置かれている。慶応4年(明治元年、1868年)には 三宮神社前において 備前藩兵と外国兵の衝突が発生し当時港に碇泊中の米、英、仏、伊、和、普の外国軍艦の 陸戦隊と交戦状態となり一時神戸は占領されたが備前藩士 滝善三郎正信は責を一身に負い兵庫永福寺で見事な切腹をして事件は落着をみた。正信の犠牲は日本を植民地化させず国を守ったがその後この付近は居留地として明治31年まで占拠されていた。
近代的なビルに囲まれてかっての面影は見られないのですが神戸開港の複雑な歴史が偲ばれる地で近くをあるく際には必ず参拝しています。
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