比叡山延暦寺と並び称される書写山の中心です。この摩尼殿は過去に2度焼失しています。室町時代の延徳四年(1492)、2度目は大正10年、護摩の残り火で焼失しました。12年の歳月をかけて昭和8年5月8日に再建、落慶法要が催されました。戦乱の世をもくぐり抜けた圓教寺ですが、火事との戦いでもありました。当時の第138代大樹承算(じょうざん)住職が全てを寄付で賄う為に奔走し、また、図面などが残っておらず、写真と「柱どり」の平面図から再設計を行い、それらに加えて山岳工事となるため、麓から瓦を運び上げるために近隣の村人たちが数枚ずつを背負って運ぶという難工事だったそうです。
ブログを楽しむことにしました。 レンズをとおして切り取った画像で、季節のその時のその場の思いが伝えられることを願っています。スマホでも閲覧できるようになりました。 ⒸTokiwai
コメント