2014年5月29日から7月31日にかけて、八十塚古墳群岩ヶ平支群第16・第17号墳と徳川大坂城東六甲採石場岩ヶ平刻印群に伴う石材と採石遺構を対象として発掘調査が宅地造成に伴い実施された。
当時の発掘調査の画像は昨年の7月に撮影した画像です、現地説明会には所要があり参加出来ませんでした。その際、配布された芦屋市教育委員会の資料によりますと
第16号墳は調査地の道路に接するように位置する古墳で、六世紀後半に構築され六世紀末にかけて追葬が行われたと考えられます。16号墳は直径15メートル以上の円墳と推定され、墳丘は、花崗岩風化土の真砂を主体とする黄粉土と、白っぽい粘土を交互に積み上げて築かれている。
石室床面は複数あった遺物の出土状態や製作年代から追葬が行われていた。遺物は玄室から耳環や須恵器の杯や壺が高坏が出土した。
第17号墳調査地に位置する楕円形墳で、六世紀末に構築され七世紀以降に追葬が行われていた。墳丘は石室の構築に併せて積み上げた土の外側に墳丘丘内列石を巡らせさらにその外側には黄褐色の細かい土を貼っており直径10メートルを超える楕円形墳でふる。
埋葬施設は南方に開口する横穴式石室です。石室の床面は三面あり初葬時の床面には石ガ敷き詰められ、この床面の上に置土をして追葬面を二回作っており第にめんでは木棺の鉄釘や棺台とみられる角礫や高坏が出土し追葬が行われたことが判明した。
画面の左側には第11号墳、中央部の木立は第1・第2・第3墳が構築されていた。
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