昔の四国までの交通手段は徒歩と船しかなく、一般庶民にとってお遍路さんの道程はとても遠いものでした。そこで、誰でもが四国巡礼を体験できるようにと、神呪寺蓮眼慈孟大和尚が寛政10年(1798年)に四国八十八ヶ所の各札所の砂を持ち帰り、それらを神呪寺境内の南部に祀るとともに、霊山寺から大窪寺までのご本尊の石仏を祀り「甲山八十八ヶ所」が建立された。と神呪寺のホームページに記載されています。
甲山八十八ヶ所を一巡する全行程は約2キロメートル(四国遍路の約563分の1)。その巡礼道も今ではアスファルトの車道に寸断され石仏自体も随分と風化してきていますが木立のつななる山の道はそのために深みがあり多くの方がいまなお訪れています。
第1番札所には大坂籠屋町彦六によって建立された「寛政十二年」と刻まれた百八十八供養塔、天保年間の年号の石の水槽が残されるなど、かつての隆盛を偲ぶことができます。
第一番札所は竺和山一乗院霊山寺です。本尊は釈迦如来です。
天平年間(729〜748年)に聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと伝えられています。行基は菩薩と尊称され1400箇所もの寺院を創建したと伝えられています。
弘法大師が人々が持つ88の煩悩を滅却させることを願い、四国に88箇所の霊場開創を決意し21日間の厳しい修業を行なった時、数多くの菩薩が釈迦如来が説法を聞いている光景を感じ竺和山霊山寺として第1番札所に定めた。とされています。
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