越前和紙発祥の伝説
創立の年月は詳しくないが、神宮谷より清く流れる岡本川の川上に、宮垣と称するところに往古より鎮座したしていた神が、村人家未だすくない頃、この神が少女となりて出現し村人に
この郷田畝少なく将来農業をもって子孫を養うこと難かるべけれど、将来製紙をもって子孫の業とせよ
と告げ、手から上衣を脱して竿頭にかけ(この故事に因み今なお竿に抄紙を吊す遺風を存す)懇切にその業を教えつづけたが、村人その神託を怪しみ、そのいずれより来ませしやを問い奉れば
吾はこの郷の地主の神なり。と語る。
村人恐懼していると神はすでに姿を消した。村民ら直ちに神託に従い製紙の業を創め漸次盛況を見るに至った。
その徳を慕い、川上に社殿を建立し岡太神社と建てたとされている
岡本川の川上に鎮座した神だと知り川上御前とも川上御神とも尊称されている。
製紙は創業以来漸次に盛大に赴き、漸次改良して奉書紙、鳥の子紙、その他諸紙を製造し越前和紙として有名になった。
越前和紙発祥の伝承については、川上御前の伝説の他に、男大迹皇子の第二妃近江国三尾民の娘稚子姫がこの地にとどまり、製紙を奨励されたという説、また紙を発明したといわれる蔡倫の技術を心得た帰化人か、もっと技術の進んだ曇微紙に近いような紙漉き技術に優れた者がこの五箇の地に来て、紙漉の技術を教えたという帰化人説などがある。
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