砲台の周囲を歩くと周りに金網が張りめぐされ囲われているのも無粋だが窓枠には数多くの投石が多く見られる、さらに壁面には野球のボール投げの跡かゴルフの打ちっぱなしか汚れが目立っている
西宮砲台掲示板によると、夙川下流の御前濱海岸のにある砲台跡です。江戸時代の終り国防のため京都を警護する要地にあたる大阪湾の西宮、今津、和田岬、川崎に砲台を築きました。その工事は、文久3年(1863年から慶応2年(1866年)まで続きあしかけ4年間続いた。土堤で囲った中央部に松杭を1,000本以上打ち込んで基礎とし花崗岩の大岩を組み上げています。本体は砲眼11個と窓1個穿たれ、大砲で四方を狙うことができました。実際には使われることなく明治を向かえた。国指定史跡に指定されている。
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