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大阪の水門 尻無川水門試運転

 第2室戸台風(昭和36年9月)の高潮により、大阪市内で大規模な浸水被害が発生したことを踏まえ、「三大水門(昭和45年完成)、 毛馬排水機場(昭和58年改築)及び、淀川大堰(昭和58年完成)等の整備、大阪湾岸及び淀川の高潮堤昭和S44年完成)の整備」を実施。 台風21号において、大阪湾ではこれまでの最高潮位293cm(第2室戸台風1961年.9.16)を超過し潮位329cmを記録したが、 これまで進めてきた大阪湾高潮対策や三大水門等の操作したことにより、大阪市内の浸水被害を回避してきた歴史がある。
 今年6月に安治川水門と六軒家水門を外部から観察し国道43号線から安治川水門の巨大なアーチと安治川水門を左岸から機器部分の構造を観察し昨年の台風による高潮を防ぎ大阪市内の水没を防止したと聞いていたので水門がどのように稼働するのか興味を持ち今回の試運転日の見学をした次第です。
 大阪市には3基の防潮水門が、アーチ型は全国でも大阪しかなくいずれも大阪市西部にある安治川水門と尻無川水門、木津川水門。ジェーン台風(1950年)や第2室戸台風(1961年)で大阪にも甚大な被害が出たことを受け、大阪府が「超大型台風の高潮に対処できる設備を」とそれぞれ約31億~26億円かけて1970年に建設されています。
 この水門は、オランダのレック河にある水門をモデルに建造されています。
 平時は資材の運搬船などが行き来するため、川にアーチがかかったように30メートル近い高さまで開いているが、大型台風が近づけば電動で約40分かけて90度回転し、潮の遡上をせき止める。6,1メートルまでの高潮を防ぐことが可能であるとのことです。
昨年(2018年9月)大阪湾で3.29メートルと過去最高の潮位を記録した台風21号でも、閉じた水門を境に海側と川側で約3メートルの水位差になったが、高潮が越えることはなく、国土交通省は他の防潮設備と併せて「17兆円の被害を防いだ」としている。
南海トラフ巨大地震などで想定される津波で故障する恐れが浮上しており、管理する大阪府は、新年度から新たな水門の設計が開始され間も無く新しい水門が建設されることになっています。
この画像は、iPhone8プラスで撮影しています。

甚兵衛渡船

甚兵衛渡船乗り場から眺めた尻無川水門


   四階建ての管理ビルの屋上で大阪府の男性社員と女性社員2名によるフリップによる水門の構造の説明を受けれました。
 主な諸元は、形式はアーチ型ゲート。径間57.0×1、15.0×1、有効幅員55.4メートル、扉体の大きさ幅70×高さ11.9メートル(幅17.10×高さ11.55メートル)、扉体の重さ530トン、(107トン)です。このような巨大なゲートが観察できる予定でしたが電源故障で見られなかったのは残念でしたが大阪市内の洪水対策の拠点を観察して満足さらせられました。
この付近は、ゼローメートル地帯ですがビル屋上から眺める市内の景観はそひとしおでした。
この日は、ディーゼルガスタービンが不調のため電源が不足し水門の閉鎖が不可能となり残念ながら水門閉鎖試験は中止となりました。
後日、日を改めて見学会に参加します。その際はよろしくお願いしますと大阪府の職員の方にお礼を申し上げ帰途につきました。


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