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土木遺産 安治川河底隧道


安治川トンネルは、1944年に開通した日本初の沈埋トンネル、安治川トンネルの南側のエレベータ建屋である。トンネルは安治川の河底を横断し、大阪市此花区と西区を結ぶ延80.6mの歩行者・自転車専用トンネルである。
現在も多くの徒歩で自転車利用者がこのトンネルを渡っています。
完成当時の安治川トンネルは、両岸に歩行者用エレベータ、車両用エレベータ各2基と歩行者用階段を備えていた。
最盛期である1961年の1日の交通量は、歩行者約8,500人、自転車約4,600台、自動車約1,200台であり、自動車だけは維持費の一部として使用料を徴収していた。
しかし、下流に国道43号線安治川大橋が開通すると車両通行量が減少し、またトンネル内の排気ガスやエレベータ付近での待ち渋滞が問題となってきたため、1977年に車両の通行は中止となった。

現在は幅員2.4mの歩行者・自転車用通路(幅員2.4m)とエレベータのみが供用されており、車道と車両用エレベータは閉鎖されている。地図を広げてみると、このトンネルが無かったら、歩く人は気の遠くなるような迂回を強いられることが分かる。説明され日本の土木遺産と指定されています。
川の底を通るトンネルは日本でこのトンネルのみとのことです。

このビルは九条方で南口と名付けられています。左側のエレベータは歩行者・自転車用エレベータ。ここは現役です。運転は頻繁でさかんに上下しています。見ていると一往復するのに3~5分ぐらいかかっているようです。エレベータは両側に出入り口があるタイプで地上と地下とでは出入り口が反対となるためです。
左端の階段室入口は幅約1.5mぐらいで、少し薄暗い中を階段が下りて行きます。エレベータが運転しているときはほとんど利用する人はいないようですが、真夜中は階段しか利用できません。かなり薄暗いです。

30年近く使用されていません。完全に閉鎖されています。巨大な『△▼』の表示灯が目を引きます。その上には表面が剥がれて黒くなって判読困難となった利用注意事項の看板が残されています。

地下通路。警備員が常駐し歩行者の整理をしています。昼間はいいとしても夜間は?
地下通路タイル張りの明るい通路で、地下鉄の連絡通路という感じがします。ただ通路の幅は1.5mぐらいで人がすれ違いできるぐらいの幅しかありません。自転車は当然のことながら下りて押して行かねばなりません。
通行する人は結構多く、子供の姿も目立ちます。元気に走り回っている子供もおり、生活感一杯の地下隧道です。


さすが大阪なのか歩行者より自転車利用者がやたらに多くこの日は乗車した際には囲まれて身動ができない状況でした。一分間ほどでしたが。

この施設は西九条方で北口とされています。JR西九条。阪神西九条から約300メートルの位置にあります。



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