比叡山延暦寺と並び称される書写山の中心です。 この摩尼殿は過去に2度焼失しています。室町時代の延徳四年(1492)、2度目は大正10年、護摩の残り火で焼失しました。 12年の歳月をかけて昭和8年5月8日に再建、落慶法要が催されました。戦乱の世をもくぐり抜けた圓教寺ですが、火事との戦いでもありました。 当時の第138代大樹承算(じょうざん)住職が全てを寄付で賄う為に奔走し、また、図面などが残っておらず、写真と「柱どり」の平面図から再設計を行い、それらに加えて山岳工事となるため、麓から瓦を運び上げるために近隣の村人たちが数枚ずつを背負って運ぶという難工事だったそうです。 設計は武田五一、大工棟梁は伊藤平左衛門である。その豪壮な姿で広く知られており、数少ない大規模な掛け造り建築です。 石段から眺めると84年前に建造されたとは思えない古びた建築物です。 天禄元年(970)創建。本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれた。そのために岩山の中腹に舞台造りの建物となった。と説明されていました。 何度か訪れていますが紅葉の時期は見事だろうとここからの眺望を楽しみにしています。 清水寺、石山寺そして長谷寺と由緒ある寺の見事な伽藍配置です。