羅城門跡
説明板には、平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に設けられた京都の大門で、この門を境に京の内外を分けた。
弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後に再建されたが天元3年(980)の暴風雨い゛再び倒壊した後は再建されることはなかった。11世紀前半には藤原道長が法成寺造営のため門の敷石を持ち帰った記述が「小右記」にあり、この頃には門の敷石や基壇のみの姿となっていたことがわかる。付近の発掘調査では羅城門に関わる遺構は見つかっていないが東寺の木造兜跋毘沙門天像(国宝)や三彩゜鬼瓦(重要文化財)はこの門にあったものと伝えられている。
朱雀大路南は九羅城門から北は大内裏の玄関・朱雀門までを結ぶ長さ約6km、幅85mの大通りでした。現代は千本通りとなっています。弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後に再建されたが天元3年(980)の暴風雨い゛再び倒壊した後は再建されることはなかった。11世紀前半には藤原道長が法成寺造営のため門の敷石を持ち帰った記述が「小右記」にあり、この頃には門の敷石や基壇のみの姿となっていたことがわかる。付近の発掘調査では羅城門に関わる遺構は見つかっていないが東寺の木造兜跋毘沙門天像(国宝)や三彩゜鬼瓦(重要文化財)はこの門にあったものと伝えられている。
平成20年3月 京都市
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