大阪駅前第三ビルの位置にあったが、1976年ビル建設工事のため既に完成した大阪駅前第2ビル3階に移転し祀られた。
得兵衛大明神縁起によると
「往昔大坂曽根崎蜆川のほとりに長く荒れたる祠あり、常夜灯ま影ほの暗く参拝者の姿も杜絶がちなりしをほどにか徳兵衛と云えるひとの移り住みて荒れたるほ施し修業を怠りなく合掌三昧に年ふるうちれいけんこしきりしたるを近頃有志相因りて祠を再興し世の尊信を受けつつあり。口碑に曰く徳兵衛もと河内の人性来信心厚く徳を磨き常に慈悲善根をしてその情畜類にまて及びたり」
と刻まれている。蜆川は現在の新地本通りと堂島上通の間の建物群れの間がその跡であるがその川のほとりにこの祠があり大坂の古い歴史を伝えている。
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