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京都洛西の名刹 西芳寺 モノクロ 続

西芳寺というより苔寺と説明すべきでしょう。 当時は自由に拝観できたのですが現在は世界遺産となり事前予約制となっています。 120種近くの苔が境内を覆い緑の絨毯のように見えます。自由に撮影もでき静かな境内は落ち着いて美しくもあり感度させられる風景も日々異なりその後も何度か撮影に訪れています。いい思い出として残っています。 60年近く前のモノクロですがそれなりの風景として表現出来たようです。 厳寒が日々続きMacは低温では稼働しないことが何度か経験していますが今年は特に非道く信じられないようなエラー表示があり度々操作不能となっています。 室温もそれほど低くはないのですが室温がある程度全体的に上がることがなければ構造上操作は不可能なようです。 冷房故障等での高温での異常現象は何度もオフィスで経験していますが低温異常は少なく戸惑っています。

京都洛西の名刹 西芳寺 モノクロ

ネガファィルを整理している際に60数年も前のモノクロフイルムを発見しスキャンして見ました。この頃はフイルム現像もしていたためフジフイルムですが退色もなく画像が現像できました。 この頃は、拝観する人のマナーも品格もあり静かに庭園を散策して撮影出来ました。現在では想像も出来ない京都の寺院の佇まいだったことを思いだしました。

芦屋鉄道紀行 8660レ REDBEAR DF200-200

昨日に続いてREDBEARDF200形式が川重から北海道へ回送されるとのことで厳寒のにもかかわらず撮影した画像です。早通したのかぎりぎりレンズを向けることが出来ました。

芦屋鉄道紀行 RED BEAR  9195レ DF200-122

DF200-122号機が川崎重工業まで回送される情報を見て自宅近くの打出村踏切で撮影したのですが寒気が厳しく光線状況も逆光でかなり無理しての撮影でした。 明日も回送とのことで楽しみにしています。

大阪駅ノースゲートビル うめきた広場

グランフロント大阪に所用がその間に久し振りにうめきた広場の工事を確認しました。寒気が厳しくもあったのですが待機し安治川駅発の1080レ単機と特急列車はるか号とくろしお号を撮影することができました。

芦屋機構 芦屋神社節分祭2018年

氏神でもある自宅近くの芦屋神社の節分祭にお参りしました。 節分祭は、立春の前日に、鬼打ち豆をまいて邪気を祓う神事です。冬の暗い気持ちを一掃し、晴れやかな春を迎えようと願いが込められています。チビッコ達ともに片隅で節分祭に詣り袋いりの福豆も頂戴した次第です。 本来は撮影が目的ではありますが冬の行事として楽しむことができたようです。 小雨も降っていましたが参詣者は多かったようです。今後も懐かしい風景を記録すめために参拝することとします。

近江の名刹 石の寺 教林坊

掲載を忘れていた画像です。 交通の便が悪く滞在時間が少なかったのですが混雑もそれほどでもなく皆様マナーもよく楽しく撮影できた時間がありました。しかし観光バスが到着すると一変しその様に驚き撮影もや終わっていたので退散しました。 光線により景観も変わり魅力ある紅葉が存在することで再訪を予定していたのですがダウンし実現出来ませんでした。

芦屋鉄道紀行   EF510 EF200 EF210  

 2080レ EF510-509    2080レ EF510-509  2081レ EF200-18 1086レ EF210-311  1052レ EF210-113                                                               1052レ EF210-113 久し振りの撮影です。2ヶ月近く腰痛にさいなまれつつ会報等の編纂あれこれ苦慮して過ごして過ごし少し落ち着き自宅近くで撮影を楽しみました。雪害で遅れがありはじめて撮影するEF510-509は危うく逃すかと思われたのですが何とか間に合い撮影できました。 新しいカメラの購入も考えて威はいたのですが思わない出費も多く遠のいてしまいました。

大阪陶器神社

坐摩(いかすり)神社の境内西向きに鎮座しています。 陶器商人に崇拝されている火防(ひぶせ)陶器神社。明治40年(1907)、西区靱から移された。 かつて北は筋違橋から南は四つ橋までの西側に、陶器問屋街約200軒が軒を並べていて、陶器神社はその守護神として愛宕山将軍地蔵を祀っていたと伝えられている。現在の神社境内にある陶器の灯籠は、前の神社から移された。 毎年7月21~23日の「陶器祭り」で展示される、皿・茶碗などの陶器で飾りつけた瀬戸物人形は、大阪の夏の風物詩として有名な神社いです。

JR京都駅

昨年11月に京都駅奈良線ホームに立ち寄り撮影した画像です。時間に余裕がなく103系の撮影が目的でした。 重要な仕事も片付き体調を整え再度撮影をたのしみたいみものです。

環濠都市 富田林じないまち

 富田林「じないまち」は、 16 世紀の戦国時代永禄初年 (1558-1561 年 ) 本願寺一向宗京都興正寺証秀上人が南河内一帯を支配していた守護代美作守安見直正から富田の荒れ地を銭百貫文で購入し興正寺別院の御堂を建立し、上人の指導のもと近隣 4 か村の庄屋株が中心となり開発が行われ、町全体を仏法の及ぶ空間寺院の境内と見なして信者らが生活をともにする宗教自治都市「じないまち」が誕生しました。  初期の「じないまち」は外周に土塁を巡らせ堀割もあり、させらに木戸門も構えられ夜間は閉鎖され治安を守っていた。町は東西 400 メートル南北 350 メートルで興正寺を中心に整然と並ぶ六筋七町で宅地や畠等が配置されていました。現在の富田林町に該当するとのことです。  この寺内町は、江戸時代中期まで、農村部における商業の中心在郷地として酒造、河内木綿、材木商、農機具商、油商が盛んで、街道の発達、石川の船運により南河内の富はすべて富田林に集まる。といわれるほど繁栄を遂げました。そして現代も500年前の町の面影が残っています。 大阪阿倍野橋から近鉄電車で30分の地に戦国時代の面影が残されています。次回は時間 かけてゆっくり撮影したいものです。