平和を願って
小説 火垂るの墓 文学碑完成
アンネのバラのこと
アンネのバラの教会
兵庫県西宮市甲陽園西山町4-7
見学は予約制です。WEBサイト・電話等でご確認下さい。 📞 0798-74-5911 Webサイト church◎annesrose.com https://ja-jp.facebook.com/annesrosechurch/
広島県立第一高等女学校1年6組森脇 瑤子の日記のこと 1945年8月5日(日)晴
学校 家庭修練日
家庭 起床6時 就床21時 学習時間1時間30分
手伝い 食事の支度
今日は、家庭修練日である
昨日叔父が来たので家が大変にぎやかであった。「いつもこんなだったらいいなあ」と思う。明日からは家庭疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う。
広島県立第一高等女学校1年6組森脇瑤子さんの日記最終章である。
高等女学校1年は今の中学1年に当る。その一学期を終え本来なら夏休みに入った翌6日家庭疎開の整理作業中、現在「核弾頭」とあっさり表され、ミサイルとセットになって記号化され、そのもたらす惨禍について想像力の働かない原子爆弾、アメリカ側のニックネームでは「リトルボーイ」によって殺された。
作業に従事していた数で言えば14歳の少女二百数十名、八割が即死、残りの生徒も7日朝までに亡くなった。
森脇 瑤子さんは6日こわされて影ひとつない家庭疎開跡を片付けていたが1キロ先の上空で原爆が炸裂した。多分酷い姿に変わり果てた瑤子さんは10キロ離れた学校の理科室に正午近く収容され、夜死亡した。
当時で言う国民学校低学年以下は事態が判なかったろう。大人たちはまったくの思考停止、あの年の夏、日本全土で天皇陛下のために、お国のために「頑張って」いたのは森脇瑤子さんの世代だけだ。
瑤子さんのように何の罪もない少女の明日を、ひたむきに生きようとする思いを戦争は無残に断ち切る。
戦争を起こしたのは大人だ。大人の償い得ぬ罪と受けとめて当然、しかし今この自覚はない。毎年8月15日、先の戦争について反省を見せる。まさに形だけ・・・・・・。伝えなかった、僕の世代がいけない。瑤子さんにならっていえば、伝えるべく「頑張ろう」と思っている。
西宮市でははじめての文学碑として5月16日記念碑の設置工事は完成いたしました。
6月7日に除幕式が催されます。戦争を原点に持つ野坂昭如氏の小説の願いは75年前の戦争の記録としても語り告げる文学碑として後世に文学者としての思いは残されることとなりました。
完成後には是非記念碑をご覧においで下さい。
完成後には是非記念碑をご覧においで下さい。
火垂るの墓誕生の地 記念碑建立活動について
新聞テレビ等報道関連記事一覧表を作成いたしましたのでご参考までに掲載いたしました。
小説火垂るの墓誕生の地 記念碑」建立関連
新聞テレビ等報道関連記事
Ⅰ 除幕式以前
・火垂るの墓 舞台変わらぬ、面影失せて歩いて。野坂昭如さん紀行、戦跡をたずねて ④完 (朝日新聞 阪神版 2015.8.16)
・野坂 昭如さん死去火垂の墓舞台の神戸・阪神間 戦争を語る役割担った。
(神戸新聞2015.12.11)
・火垂の墓の舞台 野坂氏をしのびつつ 街角のまなび場
(毎日新聞兵庫版 2016.8.8)
・火垂の墓 ここが原点 (朝日新聞 2016.12.2)
・野坂昭如のウソとマコト 火垂の墓舞台調査 (産経新聞 2017.2.8)
・突きとめた火垂の墓の舞台 あの兄弟は、ここにいた
(朝日中高生新聞 2017.6.4)
・神戸大空襲から72年 火垂の墓防空壕跡 見た (朝日小学生新聞 2017.6.5)
・火垂の墓のほとりで (朝日新聞2018.3.2)
・火垂の墓を歩く会 次世代よ思い継いで参加者増・・・運営は高齢化
(毎日新聞 三田・阪神版 2018.8.22)
・文学逍遥 火垂の墓 染みる弱者への眼差し (毎日新聞 2019.7.6)
・火垂の墓の舞台解説 戦争の惨状を知る講座
(神戸新聞阪神版 2019.8.8)
・火垂の墓記念碑設置を 住民らが記念碑設置 寄付募る
(神戸新聞阪神版 2019.8.16)
・火垂の墓誕生の地に刻む
(毎日新聞阪神版 2019.8.15)
・火垂の墓記念碑建立 募金運動西宮で始まる (兵庫民報 2019.9.22)
・火垂の墓 作家たたえた碑 河内厚郎文化回廊 (毎日新聞阪神版 2019.10.14)
・作家野坂さんと神戸、反戦平和を訴えた地 (新潟日報 2019.10.18)
・大石画伯の絵 回生病院に 小説火垂の墓が縁結ぶ
(神戸新聞阪神版 2019.10.21)
・名作の舞台に思いをはせ 河内厚郎文化回廊 (毎日新聞阪神版 2019.10.21)
・火垂の墓舞台 西宮の防空壕近くに記念碑建立 (日本経済新聞電子2019.11.4)
・火垂の墓舞台を歩こう わがまち22 (神戸新聞阪神版 2019.11.15)
・火垂の墓記念碑が完成 戦後75年の節目 7日に除幕式
(神戸新聞阪神版 2020.6.4)
Ⅱ 除幕式以後
・火垂の墓西宮に誕生の碑 (朝日新聞阪神版 2020.6.8)
・火垂の墓記念碑除幕 西宮住民ら80人 不戦願う (読売新聞阪神版 2020.6.8)
・火垂の墓記念碑 平和への祈り込め除幕 (神戸新聞阪神版 2020.6.8)
・正平帳 (神戸新聞 2020.6.9)
・火垂の墓記念碑完成 戦争の記憶語り継ぐ
(毎日新聞 三田・阪神版 2020.6.17)
・ビブリオエッセー 火垂の墓 (産経新聞 2020.6.18)
・清太と節子に誓う平和 火垂るの墓の舞台西宮に記念碑
(北日本新聞 2020.7.4 共同通信社)
・清太と節子に誓う平和 火垂るの墓の舞台西宮に記念碑
(中日新聞 2020.7.4 共同通信社)
・野坂さんの思いを後世に 地元神戸に小説火垂るの墓記念碑
(夕刊フジ 2020.7.7 共同通信社)
・火垂るの墓 思い継ぐ 小説の舞台ら西宮に記念碑 戦争起こさない住民誓う
( 西日本新聞 2020.7.7 共同新聞社)
・西宮市に火垂るの墓記念碑完成清太、節子、野坂昭如が過ごした防空壕近く
(兵庫民報 2020.7.12 )
・火垂るの墓後世に 西宮記念碑が完成
(産經新聞 2020.7.12 共同通信社)
・野坂さん火垂るの墓記念碑に
(日本経済新聞 2020.7.16共同通信社)
・平和の尊さ感じる場に 火垂るの墓記念碑 西宮
(読売新聞 2020.8.15)
除幕式報道 テレビニュース番組
・イット カンテレ 2020.6.7 17:30 〜 18:00
・ニュースSUNデー サンテレビ 2020.6.7 18:00 〜 18:30
・JNNニュース MBS 2020.6.7 23:12
・あさチヤン! MBS 2020.6.8 6:00〜 7:00
火垂るの墓文学碑 除幕式報道後 テレビニュース番組
・報道アーカイブ サンテレビ 2020.8.9 20:00〜21:00
炎の証言 神戸空襲 継承への警鐘 戦火に包まれた神戸の惨事を伝える
野坂昭如氏のメッセージ 2015. 8. 9放送 戦後70年特番 再放送
・ほっと関西 NHKTV 2020.8.18 18:10〜18:45
火垂るの墓の痕跡を探して 戦争のは記憶を後世に
・NHKニュースウオッチ9 2020.8.19 21:00〜22:00
失われる戦跡 火垂るの墓の舞台の記憶を残す
小説火垂るの墓誕生の地文学碑建立工事報告
お知らせ
西宮満池谷における野坂昭如著火垂るの墓文学碑建立
火垂るの墓建碑委員会
小説火垂るの墓 作品の背景、調査研究のこと
野坂昭如さんの小説のフアンで満池谷町に住む実行委員会代表の土屋純男さんらが2016年に野坂さんの親類を訪ね歩いたり近所の人々への聞き込みをして舞台となった満池谷を歩いた。その結果小説に描かれた防空壕や親類宅等の場所が特定された。
その結果、記念碑を建てようと2017年12月に実行委員会が設立された。
実行委員会のメンバーで土屋さんとともに調査された二宮一郎さんは「全国の人々にこの場所を知ってほしい。ファンの人の聖地となって訪れる人が増えて欲しい」と語っている。
土屋さんは先ほどの戦争が風化してきている。野坂さんの原点となった土地に碑を建てることに意味がある。碑を見て悲しい体験や戦争の不条理、愚かさがあったことを思い起こしてほしいと語られた。
趣旨
「火垂るの墓」は野坂昭如氏が自己の戦争体験を踏まえ執筆し、1968年に第58回直木賞を受賞した小説です。その舞台となったのが西宮市満池谷町です。
小説を原作とした映画にも登場し広く知られています。戦後75年を前にして戦争の悲惨さを語り継ぎ、現在と未来の子供達への恒久平和を祈念して建碑を実現したいと思います。
あなたの思いを記念碑に
建立時期 2020年6月頃建立場所 西宮震災記念碑公園内
募金 令和元年12月まで
個人 1口 1.000円
団体 1口 10,000円
振込先
振込先ゆうちょ銀行 口座記号番号 00930-4-334241
火垂るの墓募金専用のゆうちょ銀行「振込取扱票」を用意しています。委員会までご連絡下さい。火垂るの墓記念碑建立趣意書とゆうちょ銀行「振込取扱票」をお送りさせて頂きます。
ゆうちょ銀行以外の金融機関から振込みを頂く場合、下記の口座へお願いします。
この場合、振込手数料の負担をお願いします。
ゆうちょ銀行【支店名】四三八(ヨンサンハチ)【預金種別】普通預金
【口座番号】8807828【口座名】ホタルノハカイインカイ
「火垂るの墓」記念碑建碑実行委員 代 表 土屋 純男 Tel 0798-73-1853
事務局 二宮 一郎 Tel 090-3824-2468
文学周遊 小説 火垂るの墓
14歳の清太と4歳の妹節子がともに生きようと思った
次第にもはや飢えはなく、渇きもない、重たげに首を胸におとしこみ円柱をまるで母とたのむように持たれかかりすごしたいたが清太はその座ったままの姿でくの字なりに横倒しになったとは気づかず、何日なかやろな何日やろかとそれのみ考えつつ清太は衰弱死した。
本松へと向かうが母ととは会えることはなかった。
ラ・パボーニ
香櫨園浜
これは野坂昭如氏自身が、タイトルを考慮した際、古語に「火垂る」、火が垂れる、つまり空襲、そして死とすぐ「墓」とつづいた。と語っている。
この作品は、戦争の悲劇と厳しい現実をとひととき忘れさせる螢のイメージの物語りである。
古語の火垂るについては、貝原益軒は大和本草巻十四で螢火について解説されている。ホハ火ナリタルハ垂也下體光ル故名トス大小二種アリ山中ノ川ノ邊ニ多シタ勢田宇治ニハ螢火多クノ賣ル,之賣ルニ螢火事和漢メツラシ五月ノ節ノ前後旬日ノ間盛ニ出ッ小雨フリテクモル時殊ニ多シ勢田ハ早ク宇治ハヲソシ螢火丸方本草網目ニノセタリ其シルシアル事ヲイヘリフカシ詩經ニ熠燿タル宵行イヘリ宵行ハ即螢也又〇一種水螢アリ本草ニ見エタリ夜光アリ。と解説されている。
野坂昭如氏は、昭和5年(1930年)新潟県副知事相如の子として鎌倉で生まれたが張満谷(はりまや)家へ養子となり神戸市灘区で育った。彼が通学した小学校はなだく備後町の成徳小学校である。
昭和5年(1945)6月5日の空襲で自宅を全焼養父を失い養母節子は大火傷を負う。1歳4カ月の義妹恵子と西宮の親戚に預けられ餓えた恵子はよく夜泣きしたので頭を小突いて黙らせたという。
その後、福井に疎開しそこで恵子は1歳6ヶ月で他界した。この体験が「火垂るの墓」の原点となっているが、野坂昭如は「とにかく何でもいい正直に書きたいと思った。贖罪の意識が書かせた作品だという思いが強いですね。あの作品に出てくるほど僕は妹に優しくなかったから。」と語っている。
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