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大阪 住友銅吹所跡  鼓銅図録


寛永13年(1636)に設けられた大坂住友銅吹所(1690年には本店と住宅も併設されて明治6年(1873)まで事業の本部であった。)は当時日本最大の銅精錬工場(銅吹所)で、住友家の事業所や住宅を含めた面積は約1200坪あった。
この地は長堀川、東横堀川、西横堀川に囲まれた地であり、水運に恵まれていたことと、銅の精錬には大量の水が必要であったため、ここに銅吹所が設けられたものとおもわれる。およそ数百人が働いていたという。
その歴史を大阪市中央区島之内1丁目の銅吹所跡の側の三井住友銀行事務センター北側の壁面には、昭和初期の住友鰻谷邸の写真や住友が19世紀初期に刊行した「鼓銅図録」の一部が展示されている。
ガラスの反射があり全ての画像は撮影できなかったのですが銅吹所の作業の様子を詳しく描いたこの図録は、江戸時代の鉱業技術書として技術水準、美しさで第一級の書物と言われている。住友は銅吹所を視察したオランダ商館長や幕府高官に贈呈し、オランダ・ライデン国立民族学博物館のシーボルトコレクションにも現存する。江戸時代、住友が刊行した 『鼓銅図録』は世界レベルの鉱山技術書であった。


住友銅吹所跡の石碑

江戸時代の住友本邸

「大鈞鼓銅」とは「天が生み出した銅精錬」という意味である。




撲石採る


石を揉む図

湧水を引き上げる図

間吹

銅鉛を吹き分ける


棹銅と棹箱

かつて大坂の中心部島之内の鰻谷に江戸時代の経済を世界の銅需要を支えた歴史ある大坂銅吹所銅吹所があったことを知る人は極めて少ない。
ましてや、それが世界中に営業活動を広げている旧巨大財閥、住友各社の原流であることを知る人は悲しいかなほとんどいないだろう。
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