「薪能」は、夏場に能楽堂や野外設置の能舞台の周囲にかがり火を焚いて演目が行われるもので、平安時代に奈良の興福寺で催されたのが始まりとされています。
ただし「薪能」と呼ばれるようになったのは、能役者である「金春禅竹」が一休宗純のために猿楽を演じたと伝えられる場所でもあり、野外で演じたことから「薪能」が生まれたとも伝わっています。
天神社と八幡社を合祀して薪神社とされ月読神が仮の姿をとって現れたと伝わる石が祀られています。静かな神社で「能楽発祥の碑」と刻まれた石碑も建てられています。
酬恩庵一休寺は釈迦如来を本尊とする一休寺は、薪の一休寺とも呼ばれ、一休宗純の木像や「一休寺納豆」でも有名です。前田利常により伽藍が再興され、狩野探幽の障壁画が43面が納められています。金春禅竹は虎丘庵によく足を運び、文化人のサロンとしても機能していたと伝えられています。
NIKON D3 NIKKOR 20mm 1:3.5
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