1995年の阪神大震災で被災して中崎町の長屋に仮住まいしていた事がきっかけで、1997年にオープンしたギャラリー「楽の虫」が中崎町では初めての長屋のリノベーションの事例である。オーナーがこのまちの魅力を知り、倉庫だった路地裏の長屋を改修して1997年にギャラリーを開き4年後にはすぐ近くに、アートと手作り雑貨の店である2号店「RAKUNOMUSI」もオープンさせました。楽の虫で個展を開いた事がきっかけで、近所の長屋に引っ越してきた作家もいるとのことです。
表通りに面している長屋では、外壁がタイル張りやモルタル地の上に塗装したものになっていたり、屋根が大振りだったりと、昭和初期の堂々としたファサードが見られるが、しかし一歩路地に入れば、狭い路地を挟んで簡素な長屋が向かい合っているところが多く見られ、軒先には鉢植えや自転車等が溢れ出して、井戸端会議が行なわれたりもする。町を歩いていますと古い町の中にどこか新しさが感じさせられます。
その後2000年秋頃から店が徐々に増えていき、長屋をリノベーションした店舗が増えていったという。そして店を運営しているのは20-30代の若い人がほとんどで、女性が多い事も特徴も中崎町の特徴です。
江戸時代から明治にかけては、この付近は田畑の広がるのどかな地域だったのですが、やがて市街化の波とともに長屋のまちが広がっていった。第二次世界大戦中の大阪大空襲によって周囲の長屋が焼失した中で戦災を免れる事ができた希有な地域である。表通りに面している長屋では、外壁がタイル張りやモルタル地の上に塗装したものになっていたり、屋根が大振りだったりと、昭和初期の堂々としたファサードが見られるが、しかし一歩路地に入れば、狭い路地を挟んで簡素な長屋が向かい合っているところが多く見られ、軒先には鉢植えや自転車等が溢れ出して、井戸端会議が行なわれたりもする。町を歩いていますと古い町の中にどこか新しさが感じさせられます。
長屋に住んでいる方々は高齢者が多く、空き家になっている長屋も多かったようです。この町の長屋は梁が貫通して4軒前後が繋がっているので、空きが出ても部分的に建て替えるのは難しく。そのためあらたな借り手を入れずに、すべてが空くまで待ってから、建て替えたり駐車場にしようというオーナーも多いとのことでバブル時代の開発も免れていたようです。
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