A懸垂岩 5月 30, 2007 地獄谷から分岐した暗いゴルジュ状の沢を抜けると砂の広場がありその前にA懸と親しまれている初心者向きの岩場があります。休日等にはにぎわっています。 A懸尾根の下部にあります。 続きを読む
芦屋ロックガーデンの登山路 5月 29, 2007 芦屋ロックガーデンに熟練者向きの地獄谷を経由する登山路があります。途中から分かれ險しい岩稜が続き登り降りする途中のB懸尾根の途中にチムニー状の狭い空間を通過しなければならない道があります。風化した岩は滑りやすく細心の注意が必要です。 新緑の尾根を歩いた際の画像をアップしています。 続きを読む
橋台 5月 28, 2007 阪神芦屋駅にかかる芦屋川橋梁の橋台です。明治38年(1905年)に開通し阪神大水害、阪神大震災等にも耐え100年間近く電車の運転を支えてきました。大正時代の写真にはホームはなく橋梁の石積みの橋台が見られます。 続きを読む
旧小西家住宅 5月 27, 2007 第二次世界大戦末期、大阪は米軍の執拗な3度の空爆があり廃虚となった場所もありましたが、明治7年創業の薬種商小西儀助商店の明治36年(1903年)建築の店舗、居住棟は戦災から免れました。現在は道修町の近代的なビルと調和して格式のある町並みを造りだしています。 信じられないことに戦後62年経過した現在、20.30代の世代の70%以上のものが、日本とアメリカが戦争をした。と歴史上の出来事を全く知らない。といわれています。先進国で自国の歴史を知らないのが日本人だ。他国の学生から教えられていることもあると海外で教鞭をとる著名な数学者が嘆いておられたが、教育の力には恐ろしいものがあります。 国の重要文化財に指定されています。 続きを読む
和 5月 26, 2007 この街には贅をつくした和風の家も多く心が和みます。しかしそれも一代限りで税金に取り立てられ取り壊されてマンションが建てられています。 この国には美しい国は当分望めないようです。 Hirata-cyo Ashiya 続きを読む
奥高座の滝 5月 23, 2007 奥高座の滝は二つの谷が滝となって落ちている出合の滝でこの右滝は水量が少なく滝らしく見えないのが残念です。そのためかほとんど紹介されることのない滝です。 左滝は3段で落差15mとされていますが、木が覆いかぶさっていますので確認しにくい滝ですがこの滝はよく知られています。。 続きを読む
奥高座の滝 5月 23, 2007 芦屋ロックガーデンの中央稜から分かれて高座谷を詰めると、キャッスルウオールがあります。その登山道の下に奥高座の滝があります。谷の正目にみえるのが左滝です。少し水流があり近づいて見ますと上部に2段の滝があります。 続きを読む
火蛍の墓 5月 21, 2007 小説の主人公清太が懸命に生き続けたが、痩せ衰え衰弱しここで命を終えた場所となったところです。幼い頃敗戦後の混乱期にこの駅に降り12.3才位の少年が所在なげに円柱にもたれている姿を見た残像が、この駅を利用するたびにいまなおよみがえります。幼い子供達が悲惨な日々を過ごすことが、将来再びおこらない保証はないでしょう。 この画像は阪神大震災の起きた夏に撮影しました。 続きを読む
しゃくなげ 5月 18, 2007 ニコンFを長年使用しデジカメ暦は短かいがどうも馴染めないでいます。マクロ等は便利ではあるが狙った雰囲とは異なるのはどうも納得がいかないが、さらにはフレアーとコーストの対処。PhotoShopCsで調整させればとバッグにいれてこまめに撮影しています。 続きを読む
高架橋 5月 16, 2007 1934年(昭和9年)大阪駅は高架駅となり以後、70数年間にわたり軍事輸送、敗戦後の復興そして経済成長を支えてきました鉄道の安全を力強く支えてきました。 現在も1日1400本近くの列車が通過しています。 続きを読む
小金ヶ嶽 5月 15, 2007 小金ヶ嶽、御嶽そして西嶽は、鎌倉から室町時代にかけて丹波修験道場として興隆をきわめました。御嶽の直下は大岳寺、小金ヶ岳には蔵王堂その直下には福泉寺等の堂宇が立ち並んでいました。1482年(文明14年)大和修験道との勢力争いに敗れ全て寺院は焼失しました。 古生層の珪岩の多紀連山には險しい岩場が多く東の覗き、不動岩、西の覗き、愛染窟等の行にかかわる名称が残っています。瀬戸内海と日本海との分水嶺となっています。 続きを読む
御岳 5月 14, 2007 丹波の最高峰多紀連山の新緑の御岳(標高793.4m)です。栗柄から登り西岳を往復後山頂経由おおたわを経て火打岩に下山しました。前線の影響で雲が多かったのが残念でした。 多紀連山県立自然公園山開きの日とのことで25名の方と途中まで同行しました。 昨年、小金ヶ岳から眺めた御岳です。 続きを読む
神戸旧居留地跡 5月 11, 2007 旧居留地跡はかって港湾都市であった神戸に拠点とした海運会社等のビルが残っていたため魅力ある店舗が営業し多くの人が訪れています。民間活力の原形のような街ですが、突然景観を破壊するような見苦しいだけの奇抜なデザインのショップがあることにここは神戸で東京ではないのだと違和感が漂うこともあります。 続きを読む
風吹岩跡 5月 11, 2007 標高437mの風吹岩は二つの岩塔から風が吹き抜けていたので名づけられましたが阪神大震災で崩壊しました。この岩の上に立つとロックガーデンの岩場が望めます。休憩スポットとして賑わっています。 先日、この岩の日陰で座っていると高齢とお見受けする方から話しかけられる方がおられた。週に1.2回訪れると語られた。 ホームページも立ち上げられているとのことでお聞きすると、 「とみおじさん」と説明された。 「私も時々開いています。地獄谷は時折歩きますので芦屋ロックガーデンを歩かれた概略図は大変参考になります」 「まだまだ補足しなければならないのですが。同じ街にお住まいですね。私どもの山の会にも参加してください」 とお誘いをうけました。 地元芦屋のアルペン芦山のお世話をされている方と触れ合いがあり、この日の山歩きはことのほか満ち足りた思いがしました。 続きを読む
蛙岩 5月 10, 2007 魚屋道の神戸市森からと会下山遺跡からの道との合流する地点に大きな岩がありすわったカエルの形をしているので蛙岩と名づけられハイカーに親しまれています。江戸時代の絵図には狼岩と記されています。 相似性のない名称でありいつ変わったのでしょうか。 続きを読む
新緑の横池 5月 09, 2007 標高430mにある池です。芦屋ロックガーデンから六甲山頂に向かう際、風吹岩跡の近くにあります。休日は多くのハイカーが訪れます。 Higashinadaku Kobe 続きを読む
安土城跡 5月 09, 2007 天守閣跡 この場に五層七重の天守閣が存在していたとは信じられない静かさです。 安土城は天正4年(1576年)築城され1576年信長が居城しましたが、天正10年「本能寺の変」後に焼失しました。この画像は10年前です。現在石垣、大手道等の復元が進んでいます。 続きを読む
芦屋ロックガーデンの岩峯 5月 07, 2007 無名の岩ですが、この頂きに立つと展望は広がります。かって草創期のクライマー達は岩に魅力のある名称をつけていましたが、風化の激しい岩場は崩れやすく、侵食も激しくまた阪神大震災で崩壊するなど変貌して以前のような迫力のある岩場が少なくなった感がします。 続きを読む
中の滝 5月 05, 2007 芦屋ロックガーデン登山口の高座の滝の300m上部にある小さな滝です。かっては霊場であったとされています。鎌倉時代の灯明皿等が発掘されています。 Okuyama Ashiya 続きを読む
万物相 5月 02, 2007 風吹岩跡を望む。 芦屋・西宮市街を望む。 地獄谷を攀じ登ること90分程度歩くとこの六甲の風化した明るい岩場に到着します。風吹岩はハイカーで混雑していますが、ここは歩く人も比較的少なく静かな場所です。眼下の大阪方面や市内の展望はいつも視程がよどみ澄みきった景色はここ何年も望むことはできません。 ここで早い昼食をとる時もあります。夏は涼しい風も吹き居心地がいい場所です。 続きを読む