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渓谷

涸沢のゴルジェ状の狭い谷のこの小さな滝を登りつめますととA懸岩の広場に到着すします。その後は焼けつくような花崗岩の岩肌を丁寧に伝って行くと万物相で暑さから解放されます。

Field Photo Note 1960

のどかな貨物駅風景です。この時代将来に明るい希望の持てた時代でした。この40年後の現代、構造改革と既成緩和で格差社会、デフレと経済至上主義これほど住みにくい夢のない時代が到来することは誰も予想できなかったのではないでしょうか。

格式

近代化を目指した明治の建物は、江戸時代から続く工芸品のように格式高い作りとなっている。この場所でもブランドショップ等ただ目立てばよいと考え景観破壊する店舗も多くあるのが残念です。 だが現代人にこのような次の時代に残る格式のある構造物が残せるのだろうか。とこの街を歩いて考えさせられます。

Field Photo Note 1960

宇奈月駅 旧日電歩道 40数年前の6月に歩きその年9月に2度目の上廊下を欅平から阿曽原経由で剣岳へ歩いた際の画像です。旧日電歩道と名づけられていた懐かしい道です。

市街俯瞰

花崗岩の岩場は、夏場は触れると火傷するかと思うほど熱さがあります。涼しくなれば空が抜けた画面を撮影するためでかけたいものです。 晴天であっても大阪方面はいつの季節も暗雲が垂れ込め未だに葛城、金剛そして岩湧、その奥の大峰山もすっきりと望めません。

駅風景

福知山線沿線の山間の小さな駅古市駅の風景です。大阪からおよそ1時間で到着します。

神戸外国人旧居留地碑

1868年(慶応3年)から1899年(明治32年)まで外国人居留地として存在した。と碑に地図とともに刻まれています。この居留地は阪神間の生活習慣や食事等にものの考え方、文化に大きな影響を与えています。

万葉終焉の地因幡国府

大伴家持歌碑と佐々木信綱歌碑(画面右)。家持の歌碑は万葉仮名で刻まれています。 因幡国に赴任した翌年正月、新年祝賀会で「万葉集」の最後を飾る 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(20-4516)) と詠んだのを最後に歌わなくなり、万葉集最後の歌は、家持最後の歌でもあります。 信綱は 降る雪のいやしけ吉事ここにしてうたいあげむ言ほぎの歌 とあります。 詠み人知らずの歌碑 藤波の散らまく惜しみほととぎす今城の岡を鳴きて越ゆるなり (10-1944) この歌も家持の作でないかとされています。

道路行政

道路づくりが国や都道府県の最も必要な施策なのだと、明治の文明開化以来考えいまなお続けていることは知恵のない人々の集合体ではないかと思うことが車で走っていて多く感じさせられます。 人にも優しい道路はほとんど見ることができませんが、ただ作ればいいと環境破壊のための緑地帯等の設備対策、違法駐車や騒音対策、速度制限、人々が歩き住む町であることを安全を考慮することも出来ないのが官僚思考なのでしょうか。

神戸港風景

久し振りにメリケン波止場を散策しましたが、余りにもの変わりように驚かされ木陰もなく暑さに耐えかねて早々に引き上げました。 かっての活気のある港風景は過去のものとなったようです。

矢穴石

矢穴(やあな)とは花崗岩を切り出すためのクサビを入れるために穿った穴を言います。 矢穴石(やあないし)は石を割り取るために矢穴を穿った石材で、徳川大坂城改築のため六甲東山麓で石材を調達しましたが、その作業途中で放置された石が芦屋市内の各所に残っています。個人で市が保存されていますが、宅建業者の住宅建設では保存されることなく必ずと言ってもいいほど活用されることなく破棄されています。 この石は芦屋市民センターに保存されています。

地蔵尊

芦屋駅前の都市空間に古い地蔵尊が祭られています。あちこちに眼にすることが多くありますが、この町は独特の瀟洒な町ですが明治末頃までの農村であった証かと考えられます。 地蔵尊の祠は町に溶け込んで歴史のある町を感じさせてくます。

隧道風景

中央西線の野尻駅附近のトンネル風景です。30数年前信州旅行の際、曲線の多い線路と連続する断面の小さいトンネルを最後部から撮影しています。

皿型側溝

昭和13年の阪神大水害後69年が経過していますが、いまなお崩壊することなく自然と調和し役割を果たしています。 土砂に埋まる堰堤でなく、石垣を積み樹木も繁らせ治山治水としての目標のみをしっかり見つめその役割を果たす知恵ある遺構が六甲山中に残されています。

Field Photo Note 1960

新穂高温泉から西穂小屋を経由し奥穂高へ向かう途中の独標附近から撮影しています。 この頃の山行はなぜか雨天が多く撮影枚数は少ないようです。

芦屋ロックガーデン地獄谷

小滝を登り続けるとロックフェンスと名づけられた岩場の前に根性岩と呼ばれる岩があります。 木漏れ日が斑のように見え角度により犬か熊のように見えます。六甲山には岩に動物の名が付けられた岩があちこちにあり登山者を楽しませてくれます。

芦屋ロックガーデン地獄谷

夏は涼をもとめてこの谷をよく歩きます。水流のある滝に取り付き水を浴びれば快適なひとときです。ときおり腕をひたして休むことも可能です。 滝をとおり通過し尾根に登れば42.3度もあり手で触れれば熱さに堪え難いかと思われる崩壊しやすい岩場がまっています。 大小十数ヶ所の滝がありますが地獄谷にたった一つ名称が付けられているるのが「小便の滝」です。 ここで分岐しA懸・B懸尾根へと向かいます。 堰堤を巻いて源流部へ入れば風吹岩跡へ登ることもできます。

海岸通り

車で通り過ぎるが久し振りに神戸外国人居留地跡のある街を散策しました。阪神大震災にも耐えて品格と風格のあるレトロなビルが都市の乱開発にも耐えて残っています。

木ノ芽峠番所茶屋

天長7年(830年)に開かれた北陸道で以後、鉄道が開通する1896年(明治29年)まで、およそ1100年間畿内と北陸を結ぶ官道として歴史に登場する数多くの人々が行き来しました。一乗寺朝倉氏、加賀の国の繁栄も京都からこの峠を越えて運ばれました。 藁葺きの建物は築450年とされ1466年(文正元年)に前川家が開居され、1601年(慶長6年)結城中納言秀康の客分として明治まで木の芽峠の一帯の警備の任に当たりました。 現在20代目の前川氏がこの家屋を守っておられます。

横尾風景

撮影を目的として夜行列車で松本まで乗車し上高地から横尾経由で涸沢へ向かう途中の明神岳の風景です。ネガからスキャンしていますが、すでに40年が経過しても、風景はそれほど変わっていないでしょう。涸沢へは夏、秋そして初冬と訪れたが天候には恵まれなかったことが残念です。