神戸「芳香堂」
150年の時を超えた美味しい日本初のコーヒー麟太郎
喫茶店では、「ブレンド」や豆の名前で注文を受けるのが一般的ですが。しかし、試行錯誤してようやく再現されたこのコーヒーには、特別に「麟太郎」という名前が付けられています。幕末の神戸に「神戸海軍操練所」が設置された。この操練所の設置を進言したのが勝海舟で、幼名の麟太郎を名づけた。とされている。
神戸が開港してから150年が過ぎた現在も、老舗が多い神戸元町商店街で営業中!歴史上の有名人たちも飲んだかもしれない日本最古の加琲の味。コーヒー好きならこの美味しさにひかれ明治の人々に紹介された、焦製(しょうせい)飲料コフィーを飲んだ人も多いかと思われます。
神戸勤務の際、元町通りをよく歩き立ち寄ったこともあり懐かしさもあり「麟太郎」を買い求めました。コロナウイルス感染症では神戸も警戒地でもあり昨今はよほどのことがない限り訪れることはありませんので。そして自宅で飲んだところそうだこの味だった。と思い出しました。石臼で挽いたことで何故か玉露の味がした。
歴史を振り返ると、明治時代、開港された街にはいち早く西洋の文化が入ってきました。その一つである神戸にも外国人が居留するだけでなく、店が集まり、商店街ができ、そして様々なものが日本中へと広まっていったのです。その一つに挙げられるのが、コーヒーと喫茶店の文化です。
調べて見ますと放香堂は京都の宇治茶を取り扱う店です。まだ明治以前の慶應3年に日本茶を輸出するために神戸に進出したのです。インドで商品である茶を下した後に、かわりに持って帰ったのがコーヒーでした。そして印度産のアラビカ豆を石臼で挽いた。
神戸にはネスレやUCCの本社もありますが、放香堂は日本のコーヒー豆輸入のさきがけだった。
日本初のコーヒー店を開いたのが、明治から商店街に店を構えている「放香堂」です。京都の日本茶の業者。その店がなぜ?
戦時中には放香堂でのコーヒーの取り扱いも長らく休みになっていたのでした。放香堂では残された資料を基に「焦製飲料コフィー」再現し現在に続いた。しかし、昔のコーヒーなんて美味しさは期待できないと思っていましたが150年前の人も実際にインドで飲んで、その美味さからコーヒー豆を輸入しようと思ったのではないかと想像させる味わいを戦後復活させた。
現在使用しているのも、インド産のアラビカ豆深入りタイプです。もちろんその頃はコーヒーミルなどありませんから、豆を挽くのも同じように石臼!店頭の看板も「珈琲」ではなく「加琲」と表されていて、歴史を感じさせる。
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