常安の名は江戸時代初期の豪商淀屋常安に由来すると考えられている。常安橋が淀屋常安の中之島開発に伴って創架されたと受け取れる。しかし江戸時代前期の地図では同位置の橋の名を「田辺屋橋」としており、古くはそう呼ばれていたらしい。
江戸時代の中之島一帯には蔵屋敷が建ち並んでいた。常安町も同じで蔵屋敷出入の物資運搬のために橋が必要であった。そのため橋の維持管理はこれらの蔵屋敷を事実上運営していた名代、蔵元などの有力商人の手でおこなわれていたものと思われる。
常安橋が近代的な橋に変わったのは、昭和4年第一次都市計画事業によって、幅員11.4mの3径間ゲルバー式の鋼桁が架けられた。
戦後昭和44年になって下流側にほぼ同じ幅の橋が新たに架けられている。
現代は高層ビルと高層マンションがが立ち並んで雑多な景観を見せている。
土佐堀川はほとんど歩くことはないのでレンズを向けると新鮮な画像と感じさせられています。
NikonD600 AF-S NIKKOR24-70 f2.8GED
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