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阪神電鉄 夕刻の香櫨園・打出間

阪神電鉄本線は高架化され地平区間は香櫨園・芦屋間の一部となりっています。猛暑の続く午後17時を過ぎた頃に通りかかり暑さに耐えての撮影でした。夕刻近くで架線や鉄柱そして電線の影が写り込んでいます、久しぶりの撮影も夕方近くでも暑さの厳しい時間でした。 Nikon D600 TAMLONSP 70-300mm f4-5.6 DIVCUSD

芦屋鉄道紀  221系近郊型電車

バブルの最中の1989(昭和64年)に登場した電車で30年近く京阪神間の快速電車、その他線区においても運転されている。JR西日本では馴染みのある電車で近い将来には見かけなくなるようです。 この日は猛暑で2時間近く撮影したものの顔や手を洗いしばし公園の日陰で休まざるを得なかった。 NikonD600 TAMLONSP 70-300mm f4-5.6 DIVCUSD

神戸市役所24F展望ロビー

神戸市役所展望ロビーの続編です。ガラスのコーティングが微妙な画像とさせているようです。

阪急神戸三宮駅 続

神戸三ノ宮駅界隈の都市計画の一環として開発されている景観です。阪急神戸三宮駅舎は120㍍の駅ビルとのことですが解体中のJR駅ビルの概要はなぜか不明です。 市内や海岸付近では高層ビルそれもマンションが乱立し好ましくない景観が日々増えているようです。 猛暑さの撮影も大変でした。しばらくは休憩しつつ掲載したいと考えています。

奈良の蓮華 2019  西大寺 喜光寺

7月の撮影です。 350枚近くのデータとなり何度も現像処理し続けての画像です。腰痛と猛暑に耐えて過ごした時間を思い出しています。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

神戸三ノ宮俯瞰 神戸市役所展望ロビー

  神戸三ノ宮の都心部の展望です。阪急神戸三ノ宮駅の新築工事そしてJR三ノ宮駅の駅ビルの改築が行われていますが高層ビルが建造され景観は一変することが予想されます。

阪急神戸三宮駅

阪急電鉄神戸三宮駅の駅ビル「神戸阪急ビル東館」の建て替え工事の状況です。商業施設、ホテル、オフィスなどが入った高さ120mの高層ビルを建設します。完成は2021年の予定です。JR三ノ宮駅から撮影。 私もよく利用する駅です。1995年に被災したビルが26年ぶりに本格復旧することになりますが、駅ホームの位置は現在位置とのことです。地下化計画もありますが、当分は高架駅のまま運用するようです。JR三ノ宮駅ビル工事も開始され2.3後むにはこの付近の景観は一変することでしょう。 NikonD600AFS  NIKKOR35  f1.8GED

芦屋鉄道紀行  打出村踏切 75レ EF65-2080

ダイヤが乱れていたのか223系と競合して見事にかぶってしまった画像です。何度か撮影していますがはじめてでした。 NikinD600  AFS  NIKKOR35  f1.8GED

芦屋鉄道紀行 打出村踏切 86 レ EF66-111

猛暑の夕刻散策を兼ねての撮影でしたが風は涼しくもありましたがあまりにもの猛暑に公園の水道で顔の汗を落として待機しての撮影です。雲が多くなり陰影が乏しい時刻でした。

大阪橋めぐり 渡辺橋

渡辺の津と呼ばれていた頃の渡辺橋は、袈裟御前と遠藤盛選の平家物語、南北朝の乱世を駆け抜けた楠木正行と古典文学によく登場した歴史のある橋である。 顕彰碑 渡辺橋・肥後橋は江戸期、明治期を通じて大名蔵屋敷や米市場とともに中之島や堂島地区の繁栄を支えてきた。  渡辺橋の名前の由来は、現在の天満、天神橋付近の上町台地北端部あたりの渡辺の津と呼ばれていた地名のようである。  肥後橋は、橋の北詰の中之島に肥後、熊本藩の蔵屋敷があり、明暦3年(1657)の「新板大坂之図」には、肥後殿橋と書かれており、古くはこう呼ばれたこともあったらしい。  明治18年の大洪水によってこれまでの木橋が流され、明治21年に両橋ともイギリスから輸入した鉄橋に架け替えられた。  その後、渡辺橋・肥後橋は市電の第2期線建設(明治41年)にともなって架け替えられ、明治以降4代目の橋は第一次都市計画事業(昭和初期)によって架 けられた優美なアーチ橋であった。現在の橋は昭和41年に高潮対策事業と地下鉄建設に合わせて架け替えられた。  この碑の隣にある親柱は、昭和41年に架け替えられた時のものである。 京阪電車の渡辺橋駅もありこの橋もよく利用するのですが撮影することにより大阪の橋らしい雰囲気が認められます。 この時期、高熱地獄のような日々が続くと撮影意欲も減退しています。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

大阪橋めぐり 常安橋  土佐堀川

常安の名は江戸時代初期の豪商淀屋常安に由来すると考えられている。常安橋が淀屋常安の中之島開発に伴って創架されたと受け取れる。しかし江戸時代前期の地図では同位置の橋の名を「田辺屋橋」としており、古くはそう呼ばれていたらしい。  江戸時代の中之島一帯には蔵屋敷が建ち並んでいた。常安町も同じで蔵屋敷出入の物資運搬のために橋が必要であった。そのため橋の維持管理はこれらの蔵屋敷を事実上運営していた名代、蔵元などの有力商人の手でおこなわれていたものと思われる。 常安橋が近代的な橋に変わったのは、昭和4年第一次都市計画事業によって、幅員11.4mの3径間ゲルバー式の鋼桁が架けられた。 戦後昭和44年になって下流側にほぼ同じ幅の橋が新たに架けられている。 現代は高層ビルと高層マンションがが立ち並んで雑多な景観を見せている。 土佐堀川はほとんど歩くことはないのでレンズを向けると新鮮な画像と感じさせられています。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED