富田林寺内町は大阪府で唯一つの重要伝統的建造物郡保存地区です。 富田林は、金剛山を東に仰ぎ大和川の支流である千鳥の名所である石川の流れに沿う室町時代の永禄3年(1560年)に往昔は富田ケ芝という草原であったが15代証秀上人が浄土真宗の興正寺別院が起こし近傍の村落を代表する郷士たち(八人衆)開拓に協力し村を起こした。杉山家ははこの草分け八人衆の家系で現存する唯一つの八人衆であった。先祖は美濃国のの落ち武者だとされている。石上露子は杉山家の嫡女杉山孝として1882年(明治15年6月)に生まれた。天性の美貌と気品と聡明で勝気な性格で源氏物語など古典を学び武芸まで身につけていた。当時の富田林は寺内町として付近の米や綿などの農産物の集散地あった。 興正寺 富田林の街並 町家と金剛山 杉山家住宅 石上露子が生まれた当時の杉山家は複雑な家族構成の大家族であった。 結婚後一切社会との交流は断たれて長く不幸の結婚生活を余儀なくされた。 四年あまりの創作は、詩一編、短歌80首、美文 5篇だった。この残された 作品は、明治のロマンチシズムの清純な流れを代表た作品として評価されて いる。作者像は白菊のように柔らかい日本語の調べに凝った文字、哀愁を 限りなく余情をふくんだ純日本的な調べである。 作品には、日露戦争中に読まれた人間尊重の願いを読んだ短歌も残されて いる。 歌人石上露子を知ったのは、 小板橋 行きずりのわが小板橋 しらしらと いづこより流れが寄りし 君待つと踏みにし夕べに いひしれず沁みて匂ひき 今はとて思ひ痛みて 君が名も捨てむと なげきつつ夕わたれば あらうばらあともととめず 小板橋そとりゆらぬく 小板橋は、石川の...