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戦後75年の記憶 被曝ピアノ 広島




原爆による熱線や放射線を浴びた「被爆ピアノ」を題材にした映画「お母さんの被曝ピアノ」が7月に公開された。モデルとなったのは20年以上にわたり被爆ピアノを調律し、全国でコンサートを企画してきた広島市の矢川光則さん(68)だ。急激な熱を浴びて乾燥した被爆ピアノの共鳴板は独特の高い音を発し、今も聴く人に被爆の悲哀と平和の尊さを考えさせる。と報道されていた。現在、矢川ピアノ工房は6台の「被爆ピアノ」を所有し、そのうち貸し出せるものは5台保存されている。爆心地より1.8kmの民家で被爆した「ミサコのピアノ」、2010年にニューヨークで演奏された「ニューヨークへ行ったピアノ」、持ち主の和子さんと共に被爆した「カズコのピアノ」など、「被爆ピアノ」にはそれぞれ物語があり、音と共にその物語を人々に戦後75年経過しても届けています。
文学作品の舞台日を訪ねて作品を解説する文学周遊という作品を依頼されて広島を取材して数編書いています。この時に被曝ピアノについては確認していましたが詳細は不明でした。娘たちが3歳の頃からピアノを習い購入し娘二人が大学を卒業するまで弾き続け結婚した時は持参していったためピアノに関心があったのですが・・・・先日報道があり思い出し調べ書くことができました。
昨今何かと不都合な出来事が多い広島そして長崎の歴史ですが、原爆投下から75年が経ち、被爆体験者の数が減る中、「被爆ピアノの音色があれば、後世にずっと原爆のことを伝えていける」と、矢川さんとピースヒロシマは「被爆ピアノ」の音色に一縷の望みをかけ、活動を続けてられています。
被曝ピアノは現在は広島市に9台・長崎市に1台・仙台市に1台合計11台が現存されている。うち仙台のものは広島で被爆したことから広島市への原子爆弾投下によるものが10台、長崎市への原子爆弾投下によるものが1台ある。幾台かは再生され演奏活動を続けている。広島ほ訪問した際は取材して調べてみたいとこの原稿を書きつつ考えています。

  





 

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