2017年1月24日

大阪環状線 京橋駅 103系




 この駅での撮影は始めてのことでしたので内回りホームから外回りの列車をと考えが京阪とからめて撮影をしばし楽しみました。新型電車の入線を期待したのですがしばらく待っても見られずあきらめてカメラをバックに収納し大阪方面の電車を待つと皮肉にも到着し乗車したことでした。
NIKON D600  AF-S VRZoom-NikkorED24-120-㎜F3.5-5.6GIF  






2017年1月23日

大阪環状線 天王寺駅 阪和線 大和路線ホーム 






天王駅での撮影は記憶がなく始めてのようです。103系のウグイスカラーを撮影のため大和路線わホームでしばらく待機しました。阪和線内で事故のためダイヤも乱れたことと光線状況が望ましくもなかったため少しの時間で去りました。103系も撮影すると魅力がありますね。

NIKON D600  AF-S VRZoom-NikkorED24-120-㎜F3.5-5.6GIF  

2017年1月22日

大阪 西心斎橋 アメリカ村の朝







カメラのエフェクト機能の一つポスタリゼーションに設定し抽象的なイメージで朝のアメリカか村の画像です。何となく似つかわしいようです。
10時過ぎに到着したのですが人通りも多く賑わっていました。御津公園では名物の若い女性が数人たこ焼きを食べて光景も若者町らしいで。六年近く経過しカメラも液晶が濁りそろそろ買い換えの時期のようです。



2017年1月21日

東海道本線 甲子園口駅 EF66 EF200 EF210






この駅での撮影は久しぶりです。天候も曇り空でもあり、さらに駅改良とともに標識が設備され煩わしさもありますがそれなりに楽しむことができます。ときおり臨時列車が運転される時間はにぎわっています。


NIKON D600   TAMLONSP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD 

2017年1月20日

阪急 神戸三宮駅






阪急神戸三宮駅の改良工事が震災後22年経過しはじまりその記録と思い時折撮影しています。梅田方のホームでしばらく撮影したのですが立ち入り禁止等アングルが限定されますがこれも良しとして単焦点レンズをしばらく向けました。

NIKON D600  AF-S VRZoom-NikkorED24-120-㎜F3.5-5.6GIF  

2017年1月19日

阪神大震災 2017 1.17のつどい 続 








阪神大震災の被災者の一人として元神戸市民の一人として、2.3年一度ですが式場に出向き慰霊碑に手を合わせています。
当時、無責任な誰が語ったのか阪神地区は地震もなく気候も温暖で住みやすい街だと聞き関東から終の棲家として撰んだ先輩が2年後に震災に遭い自然の驚異と人間の無知はと語った詞は忘れることはできない思い出です。
方丈記にも記録されているように京都や紀州、播州で度々大地震が発生していることは歴史に記録されているのですが・・・・・・・

2017年1月18日

阪神大震災22年 神戸東遊園地1.17のつどい

6,434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から22年を迎え、阪神間と淡路ーの各地で遺族らが犠牲者を悼んだ。神戸市中央区の東遊園地では午前5時から「1・17のつどい」があった。「1995 光 1・17」の形に並べられた約7千本の竹灯籠に火がともされ、発生時刻の午前5時46分、遺族や市民らが黙禱した。と報じられていましたが、私は10時過ぎに慰霊のために今年は訪れました。ひっそれした時間帯したが静かに会場を巡り神戸市役所の展望台からも会場を見ました。
風化しつつあるとのことですが遠隔地からも慰霊のために訪れたと会話がありました。
被災者の一人として既に22年が経過したのかと思いつつこの日を過ごしました。












2017年1月17日

正一位福永稲荷大明神 狐塚の由来 大阪の歴史を巡る 

大阪駅前再開発事業として1970年4月に完成した地上12階地下 6階の大阪駅前第1ビルの屋上に狐塚の祠かぜ祀られています。このビルは何度も訪れ食事もしているのですが存在を知りながらお参りは一度したのみでした。屋上からは大阪駅ビルヒルトン、丸ビル等の高層ビルに囲まれています。以外な大阪の歴史を伝えています。
その後、1976年11月に第2ビル、1979年11月に第3ビル、1981年8月に第4ビルが建設されています。地下1階、2階は飲食店や金券ショップが営業し賑わっています。また上層階はオフィスや地方自治体の大阪事務所等がありますがシャッター通りがあちこちに見られます。










祠の前に「狐塚の由来」が掲げられています。それによりますと

「当地に古くからの小さな丘があり野狐が栖としていた。平安時代末期の保延年間に源融公の十七代目に当たる渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎がが稲荷の祠を祀り一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビル敷地を東西に貫いていた曾根崎商店街通りを稲荷山通りと称していたのはこのためである。
明治初年には郷社露天神(当社の東方500メートル、通称お初天神)一座となったが明治42年の大阪北の大火でこの一帯が焼失したが、この祠だけが不思議にも焼け残ったのでせ当時の人々は焼けずの稲荷と呼んで畏敬した。
更に三十七代目の渡辺兼平の妻麻門は渡辺家が代々崇敬してきた天満宮の祠を建てて神域を整備したが、昭和20年3月14日の空襲により罹災した。
この由緒ある神域の復興を思いたった当地の中谷栄五郎氏らは旧知に小祠を再建し今日までお祀りしてきたが大阪駅前市街地改造事業施行法により移転を余儀なくされたので、地元有志が相集まり旧地上に建築された大阪駅前第1ビルの屋上を新しい神域と定め末長く地区の繁栄と守護を祈願することとした。 
                              昭和45年6月吉日
福永稲荷大明神奉賛会」
と刻まれた碑が建立されている。



この画像は、曾根崎心中の記事を作成するために調べた画像です。
狐塚は昔から地元の人達に愛されてきたものです。北の新地を少しでも外れると誰もいない、狐狸が住むような裏寂しい光景が展開していました。お初と徳兵衛は、北の新地から離れて、梅田墓や狐塚などを遠目に見ながら、曽根崎の森の中に入っていきました。

 NIKON D600    Nikkor20mm 1:3.5   



2017年1月16日

阪堺電軌 天王寺駅前停留所

 





 昨年12月3日に阪堺電軌天王寺停留所付近は芝生軌道に移設されたが撮影に出かけました。旧施設の撤去工事中でしたが今後この付近は大きく変わるようです。
駅舎も撮影にと歩道橋ま隙間からレンズを向けたのですが余りにもの強風に残念ながら撮影はあきらめることとして立ち去りました。
NIKON D600  AF-S VRZoom-NikkorED24-120-㎜F3.5-5.6GIF