2009/11/06

法善寺横丁


法善寺横丁は、大正期において、芝居や浄瑠璃の人気で賑わう櫓町(今の道頓堀筋)の陰で飲食街が急激に発展する。
大正時代のロマンを尋ねて夜毎 この界隈を歩いた、織田作之助や長谷川幸延らの小説で、また芝居や映画、歌謡曲にと数知れず紹介され、法善寺・法善寺横丁の名前は 広く日本中に知られるところとなる。

織田作之助文学碑 正弁丹吾亭前。旧中座の火災で類焼し、往時のまま復元された正弁丹吾亭という店の前に建立されている。
作之助は随筆『大阪発見』で法善寺横町界隈を大阪らしい風情だと書いている。碑文は「行き暮れてここが思案の善哉かな」と刻まれている。
火災のあと、地元の方々は横丁の面影を懐かしみ、復元に奔走した。今はその面影を取り戻し石畳みの道は優しい。
酒を飲めない私には無縁ではあるがここを通るとき心が安らぎ道頓堀の賑わいか嘘のように思う。



2009/11/05

道頓堀散策その2



昆布と鰹を使用した今井のうどんだしは、コクがあり旨味を持ちながら、上品な薄味に仕上げられて飲み干しても美味しいだしである。うどんも柔らかくもなく固くもなくほどよく味が込められ上品な味は難波の古き良き伝統が味わえる。また2枚の大きな油揚げもだしが効ききわめて美味しい。
濃い醤油味になれた人には複雑な味だろう。こてこての大阪もんの充満し続ける道頓堀で人気の店で昼時などなかなか食することはできない時もある。
風情のある店で食べるうどんは最も好ましいが久しく食べなかった。
食べ物の画像は撮影しないがこのうどんは是非ご紹介したく店の人に断り撮影した。


本店 道頓堀 今井 
ホテルニューオータニ大阪、リーガロイヤルホテルにも出店している。店内に入ると通りの喧噪を忘れさせてくれる雰囲気があり好ましい空間だ。

2009/11/04

道頓堀散策その1

久しぶりに道頓堀界隈を歩いた。人通りは多いようだがかっての活気ある町の雰囲気はないようだ。夕刻であれば活気があるのだろうか。





道頓堀の夜景の画像は、1993年前後のものであるがこの町の様子は変わっていないようだ。グリコもカニも健在である。
ただよく見れば歩く人のファッションが異なっているのだが。


2009/11/03

甲山88箇所石仏巡礼第28番

第28番札所法界山高照山大日寺
本尊 大日如来
開基 行基
高知県香美郡野市町

縁起は、天平年間(729〜748)に、聖武天皇の勅願により行基が開基し、本尊は行基が刻み安置したといわれる。その後、弘法大師が四国巡錫の際に来錫して再興したと伝えられる。
明治初期の神仏分離令により廃寺。その後、地元の人々に守られ、1884(明治17)年再建された。


2009/11/02

携帯カメラ

阪神芦屋駅

芦屋川の上にある駅で阪神間では景観に優れた駅で私も乗車する機会は少ないが天候がよければ必ず撮影している。携帯カメラで撮影した。




しかし、この美しい景観も市内でただ一つの河原は汚物があちこちに放置されている。ここを歩くとは気機を許せない。市内のあちこちの道路も同様、不潔でこのような標識も仕方がないのだろうがきれいなこの景観と全くそぐわない。せめて普通のことはしてほしいものだ。

2009/11/01

会下山遺跡その3

2008〜09年に発掘調査がなされ会下山遺跡の中心集落とされた尾根部の東側斜面には、竪穴式住居1棟の跡や土器片が多数発見され、北側、東側の別の斜面でも土器 片や柱穴などが出土、生活の跡が50年前には想定された。
しかし遺跡の範囲はこれまで山頂や尾根部など約3000平方メートルとされていたが、斜面や山すそまで含め、少なく とも1万5000平方メートルを超える規模に広がると推定されるという。
そして恒久的な住居として使用され弥生時代の歴史を塗り替える遺跡としても考えられ今後国の史跡指定に向けて詳細な調査がなされている。
人が何事も気づかず登山路でトレンチにより遺跡を確認調査されている。
高圧線鉄塔のある鷹尾山の250メートル付近にもにも高地性集落が発掘されている。詳細は不明であるが相当大きな遺跡であると推定されている。
200メートル付近からの展望。北摂から生駒。葛城まで一望できる。弥生時代に大きな役割を持った部族が居を構えていたとも考えられる。
のろし台もありどのような情報を伝えていたのであろうか。
登山路ではあるが急峻な崖に囲まれている尾根上の遺跡である。

2009/10/31

鉄人28号

山陽本線新長田駅近くににある若松公園で10月4日、高さ15.6mの「鉄人28号」モニュメント像の完成セレモニーが 行なわれた。「鉄人28号」は1956年から雑誌「少年」に連載された漫画で、これまでに何度もアニメ化された人気作品であるが漫画はほとんど読まなくあまり記憶はない。
新聞では報道され近くの阪神高速は何度も往復しているが立ち寄る機会はなく寄り道をして撮影した。
「鉄人28号」モニュメ ント像は1/1スケール像で、足を伸ばして直立させたときの全長が18mになるように製作された。中は鉄骨、外 は耐候性鋼板製。重量はおよそ50トン。両足の下、深さ6mに埋められたおよそ150tの基礎で支えられている。とある
製作したのは長田区の特定非営利活動法人「KOBE鉄人PROJECT」で「鉄人28号」の原作者で神戸市須磨区出身の漫画家である故・横山光輝氏にちなんで、阪神大震災後の復興・商店街活性化のシンボルとして製作した。総工費は1 億3,500万円。神戸市から補助金4,500万円が拠出され、残りは個人や企業からの寄付・協賛金でまかなった。と報道されている
紺色ボ ディの「鉄人」像は、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた商店街方向(南側)を向いている。両足を踏ん張り、右手を突き出した力強い鉄人ボーズである。
新長田地区はかってゴム関係の工場が多くあり靴等の生産工場が密集し活気を呈していた。最も酸く競れた競技スポーツシューズで著名なアシックスシューズの発祥地でもある。
この像は一時的なものではなく、若松公園内に恒久設置されるため現在も鉄人像の株は舗装工事中で今年度末には鉄人像の足元整備が行なわれることになっている。






2009/10/30

大阪駅工事風景

しばらく訪れない間に工事は進捗し外装工事も始まっていた。またホーム上の通路工事も仕上げられ南側にも増築工事が進んでいた。
基礎工事が終わるとビル建設工事は早いようだ。







2009/10/29

大阪市営地下鉄

地下鉄新大阪駅はよく利用した駅ではあるが。カメラを向けたのははじめてである。デジカメを購入し撮り鉄してみた。
画素数も大きく手になじみ警戒心も持たれなく撮影出来るので重宝できる。
画像は平板であり均一化されているのは面白くはないがある反面感心させられている。





2009/10/28

会下山遺跡その2

弥生時代の高地性集落遺跡会下山遺跡で発掘された焼土坑でトレンチは3.5メートル深さ1メートル幅は1.5メートル程度、相当な高温で燃焼された痕跡があり、鉄製品の製造が行われたのではないかと思われる。24日の新聞に掲載されていた。
その後訪れた際、芦屋市教育委員会の学芸員の方に確認した際、縞模様になった黒い地層を示しながら丁寧に説明を受けた。角度もあり陶器を焼く登り窯のような感じであった。
このような堀のような遺跡はこの横にも存在しているようだ。との解説を受けた。
2000年前にこの場所、標高170メートルの箇所で金属器を生産していた。ことが頷けるトレンチであった。
何を生産していたのか今後の研究に待つしかないようだ。
高地性集落として1956年に発掘された時には、弥生時代は稲作文化で低地で生活していた。200メートルもの高地で食料生産も不可能であり居住できねることは不可能だ。そのような集落はあり得ないと考古学会や学者から無視され闇に葬られようとしていた。だが机上の空論に踊らされず現地発掘調査により研究を続けた若い考古学者は瀬戸内海沿岸に弥生時代の高地性集落を発掘し弥生時代の文化として定着した高地性集落の歴史が、この会下山遺跡が発端となっている。と現代では定着している。
何度も訪れたがいつもは草や落ち葉に埋もれていたため、小さな高地性集落かと思ったが雑草も刈られ見違えるように観察しやすくなった遺跡から、発掘品も膨大であり尾根上でもあるが斜面も利用した相当大規模な遺跡ではないのではないかと思ってしまった。
自宅から歩いて45分程度の山にそれも登山の下山路としても歩いてきた所に、2000年前の人類にとって貴重な遺跡が国有林でもあるとしても破壊されず残っていることにいまさらながら驚かされた。

2009/10/27

新世界その2

ポケットサイズにとフォーサーズも手に取り検討してみたがなぜか画質にも操作性にもどこのカメラを買っても同じようではないかとそれほど魅力が感じられずあきらめてしまった。
フルサイズのカメラを検討していたがこれほど新製品が続出しパソコンのように多岐多様の機能が加わり旧形式のカメラが望ましくなりこれもあきらめてしまった。
それではとコンデジで我慢することとし1/2.3型ccdのIXY510isを購入した。小さいCCDながら画像の解像力は明部も暗部もコントラストがあっても全てにピントが合い手ぶれ防止もありそれなりの撮影が可能である。その上これでもかと機能が付け加えられていることは驚かされる。誰でもが容易にいつでもどこでも写真が撮れることはいいことではないかと思う。
試みに以前撮影した新世界の画像を掲載した。愛用のカメラが見つかるまでクラシックデジカメとこのカメラで撮影したいと思っている。






2009/10/26

霊社



いまから900年前の平安時代末期の治承8年一ノ谷の合戦、生田の森で戦死した河原太郎、次郎を祀る社である。
神戸居留地跡の三ノ宮神社の裏で近代的なビルのなかに秘やかに祀られている。
神戸をはじめ阪神間には古い史跡が多くあり民間活力で保存されている。道路や都市計画で破壊されることも多いが残っている。後世に残したいものだ。

2009/10/25

桃山御陵

桓武天皇柏原陵
かっては伏見桃山御陵付近に築かれていたいたとされているが伏見城築城時に削平され、明治初年この地に造営された。
明治天皇伏見桃山御陵
  昭憲皇太后伏見桃山東陵
伏見を訪れた際に伏見桃山御陵を散策した。
豊臣秀吉が1596年に築城した本丸跡に造営されたとされている。鬱蒼と茂った木立のもと緩やかな砂利道を15分の距離である。伏見や宇治の町並みを望むことがてきる位置にある。

2009/10/24

中之島風景

              中之島図書館
川田順歌碑
難波津のまなかに植えし智慧の木は五十年を経て大樹となりぬ
と中之島らしく水中の四角の石に刻まれている。
この歌碑は中之島図書館開館50周年賀歌として建立されたものである。

             堂島川と大江橋
                 日本銀行大阪支店

2009/10/23

芦屋の地蔵尊


西国街道跡の地蔵尊で大切に祀られている。
仁丹の森下本家に祀られていた地蔵尊で、その後テニスコートとなりさらにマンションが建設されここに移転し祀られている。
古い由緒のある地蔵尊でふる。

宮川沿いにある西蔵町の地蔵尊。
マンション建設中に出土した地蔵尊が祭られている。

1955年(昭和30年)中学生3人が交通事故でなくなった際に建立された地蔵尊である。


2009/10/22

会下山遺跡 

芦屋市の山手、神戸市との市境に弥生時代の高地性集落として著名な遺跡がある。芦屋川駅から歩いておよそ30分程度である。
しのぎ谷と高座谷にはさまれた200メートル前後の尾根にあり芦屋市街、大阪湾を隔て生駒山系、西は神戸市街から淡路島を北には六甲山系が眺められる。
発見されたのは50年前の1956(昭和31)年でこの尾根の下にある山手中学校の植物実習園造りのさい発見された。
紀元前一世紀から紀元一世紀の集落で稲作文化が定着した弥生時代に高地性集落で暮らす人が存在したのは倭国大乱との関わりの説もあるが祭場説も居住性の良さも説かれているがこの会下山遺跡発見以来西日本各地で高地性集落が発見され研究されている。

会下山遺跡の説明版、右方の鷹尾山、城山山頂付近の250メートル地点にも高地性集落が発掘されている。
            芦屋市街と大阪湾遠望が可能である。
            高床式の復元倉庫
          排水溝が設けられていたことが認められる。
4.50人程度の人が生活していたことが確認されている。遺構には竪穴式住居、祭祀場、倉庫跡、火たき場あるいはのろし場跡、ゴミ捨て場と広範囲な遺跡である。
高地性の集落でありながらイイダコ壺、鉄製釣り針も発掘さけ山の幸とともに海の幸も収穫してたと考えられ。当時大阪湾の渚は尾根の直下付近にあった。
山歩き時々立ち寄るが2000年前の人がここで生活していたのかと思うと災害も多い地域だが住みやすい地であったのかと思ってしまう。

2009/10/21

芦屋の漁船

芦屋市では明治時代以降8戸から20戸程度がいわし漁を専門に行い芦屋いりじゃこが専門業者により加工されていた。みやじゃことして珍重された。その時の風景が市史や写真史に記載されている。
昭和37.8年前後より科化学調味料、労働力の不足等と芦屋浜の埋め立てによりいわし業も消滅してしまったが、現在1戸のみイカナゴ業などを行っている。
六甲山を背景に漁船を撮影した。





2009/10/20

メリケン波止場

メリケン波止場で神戸ビエンナーレ2009が開催されている。ビエンナーレ(biennale)とは、「2年に一度」というイタリア語が語源となっている。
神戸に芸術文化の力を結集して内外に発信することと神戸の芸術文化の更なる振興を図るために、2年に1度の芸術文化の祭典「神戸ビエンナーレ」を開催されている。
所要があり時間に追われていたが海上アート展もあるため今回はアートコンテナーのある会場に入らず外周を歩き撮影した。
フリーマーケットなどもあり訪れる人は多いようだ。






2009/10/19

ウィンドウ—

神戸旧居留地街ではウィンドウのディスプレイは秋の装いで暖かそうな雰囲気だった。少しは景気が回復したのか工事中の店舗が多いようだ。



2009/10/18

芦屋マリンセンター






江尻川の河口に設けられた兵庫県立海洋体育館の設備で青少年の健全育成を目的につくられた施設で、六甲の山を背景にヨットやカヌーの教室・レンタルができる。
カラフルなカヌーが保管されている。海に浮かぶヨットも見えず艇庫を撮影した。 
ここには芦屋で唯一の漁船も繋留されている漁港もかねている。

2009/10/17

大阪駅工事風景

大阪駅工事の状況の大きな看板があり撮影した。2011年春には大きく変貌した大阪駅が出現する。
不況にも関わらず梅田界隈は高層ビルの工事が進められている。





下記の画像は、阪急グランドビル32階から撮影したが隣のビルは41階の阪急百貨店ビルが工事である。
工事中の大阪駅を撮影した。構内が狭くなっていくようだ。



2009/10/16

あしや秋まつその4

だんじり巡行は道路を約300メートル閉鎖し5基のだんじりが練り廻しをする太鼓や鉦をたたきかけ声も勇ましく動く姿はのどかな風景ではある。
晴天に恵まれ思う存分六甲を背景に撮影できた。
老若男女が小さな子供たちもはっぴを着てだんじりを牽くが特に若い女性がだんじりに乗り込み音頭をとることも多くなったようだ。
六甲山麓の東灘、芦屋、西宮はかっては天領の農村地帯であり古いしきたりが未だに残っていることにいまさらながら感心させられている。





IXY510IS

2009/10/15

秋の蝶

蝶の撮影を試みるが花の種類も少なく巡り合うことことはなくじっと花の横で立ち止まり待つことが多かった。飛翔する秋の蝶は羽根もくたびれ疲れているようだった。
今年は吸水する蝶を撮影したことができたことが収穫となった。

               コミスジ
コミスジ
  ツマグロヒョウモン
  わずかの水の流れで吸水するシジミチョウ
       
イチモンジセセリ

2009/10/14

芦屋のたんぼ

六甲山麓の芦屋市は狭く市域は東西約2.5㎞ 東西8.3㎞の範囲であるが豊かな自然に恵まれ石器時代や縄文、弥生時代の遺跡も多くある。
ブログをはじめ山手を散策するようになり高級住宅地にまじり7箇所に米作りの田んぼがあり台風にも耐えて実りの秋を見せている。
ここを少し登れば日本でもっとも裕福な住宅地である六麓荘町である。
背景の山はゴロゴロ岳である。刻印石も残り赤米も栽培されていることに気づかされた。
愚かな新市場主義に踊らさせた乱開発にもイノシシの食害にも耐えて生産緑地として指定され自然を残していることは素晴らしいことだ。












2009/10/13

あしや秋まつり その3

六甲山の麓の町ある山之町、西之町、三条地区のだんじりは山手にあり阪急高架下、JR線の橋梁を越えそして 国道2号線を横断し、阪神電車踏切をわたり国道43号線近くの精道小学校まで巡行しなければならない。
往きは下りとなるが帰途は登り道が続き坂道の高低もあり牽くのが大変そうである。
六甲の山並みを取り入れて快晴の日に楽しそうな巡行の様子を撮影した。
見える山は、多くの人に親しまれている荒地山、その前山城山(鷹尾山)、風吹岩跡そしてゴロゴロ岳である。
である。








2009/10/12

あしや秋まつり その2

だんじり巡行が夜に行われJR芦屋駅前で撮影した。意外に照明は少なくISO1600だったが光量不足はいないめないようだ。
おしゃれな街に日本の祭りの原型であるだんじりが巡行するのは意外性がある。
このだんじりは西之町、三条、山之町の地区のだんじりで子供たちも女性も加わり楽しそうにかけ声をかけながら牽いていた。




IXY510IS



2009/10/11

あしや秋まつり






芦屋さくらまつり,芦屋サマーカーニバル,あしや秋まつりを三大まつりと位置づけ,市民団体がそれぞれ「まつり協議会」を組織し開催している。まつりの開催を通して,新しいふれあいや出会いをそして郷土愛を育て,市内各層のコミュニケーションを深め,さらには市民文化を育てることが目的とされている。秋祭りには、二日間にわたり朝八時から夜九時までの長時間のだんじり市内巡行が二日間にわたり行われている。山之内、精道、打出、西之町、三条地区の地車がある。今回は打出の地車を撮影した。

IXY510IS

2009/10/10

携帯カメラ 大阪駅


はじめて携帯カメラで大阪駅駅ビルアクティOsaka27F阪急32番街31Fより撮影した。
遠景はボケているようたがガラスの汚れの影響もあるとしても結構使用できるようだ。天候が良ければ使用価値がある。
工事の進捗は早くもうすぐビルが姿を現すだろう。

展望エレベータ内14Fより撮影
ActyOsaka27Fより撮影
ActyOsaka27Fより撮影

阪急グランドビル30Fより工事中の大阪駅撮影
阪急グランドビル30Fより工事中の大阪駅撮影

2009/10/09

中之島公園


堂島川と土佐堀川にはさまれた全長約1.5㎞の中州に国の重要文化財である府立中之島図書館や大阪市中央公会堂、東洋陶器美術館そして日本銀行や大阪市役所が立ち並び1891年開園の都市公園でもある。
古くから文化や学術、美術の情報発信基地としての役割を持っていた。1920年には経済力が東京を上回った大大阪の頃の当時をしのばせる建築物が数多く残っている。


大阪で唯一船座敷を持つているかき船。大正9年創業の老舗割烹料理店。船座敷は牡蠣船とも呼ばれ、昔はここ土佐堀川のあちこちで見られた。
大江橋
が17日、文化審議会文化財分科会で決まった
水都・大阪を象徴する淀屋橋と大江橋は重要文化財として指定されている。近代の産業土木遺産としては、淀川旧分流施設に次ぐ指定となる。
土佐堀川に架かる淀屋橋、堂島川に架かる大江橋は、大阪市第1次都市計画事業の一環で、御堂筋が拡幅された際に架け替えられた。当時としては珍しい意匠コンペが行われ、交通の要所にあって格調の高い橋として都市景観の形成に貢献してきた。

難波橋
橋の両端にライオンの石像かせありライオン橋とも言われている。
1915(大正14)年に完成し当時の美しさを見ることができる。
復元された八軒家浜船着場。京阪天満橋駅の近くで多くの人で水辺の散策をする人で賑わっている。
今年最大の台風は、このあたりを避けたが夜半の強風はすさまじいものがあった。強雨が伴わなかったのが幸いだった。
水の都大阪は地下街も多く低地でもありこの台風で全ての水門は閉じられたが都市洪水の予測もあり万全の対策が必要だ。と川の風景や埋め立てられた川筋を眺めていると自然災害の恐ろしさを持ってしまう。

IXY510IS

2009/10/08

水都大阪2009

8月から水都大阪を体験できる52日間ということで水都大阪2009が開催されている。かって報道されたこともあり中之島へと出かけたがパフレットやメディアが報道するほどの魅力がある催しではない。水都大阪ということで道頓堀や島之内でいろいろな催しがすべて見ていないがここではお役所らしい催しらしい雰囲気を感じた。大阪の歴史を掘り起こしそして未来を拓くきっかけとなるものの考え方を持つ人が一人でも多く賛歌する催しを持たせてほしいものだ。とおもっている。なぜなら中之島界隈はかっての大阪の反映の証も多々あり催しがなくても魅力ある場所であるからだ。

大阪中央公会堂の前ではボランティアガイドが大阪の歴史を丁寧に説明していた。年配の方も若い人も多く私も少し離れて聞いた。
現代美術家ヤノベケンジガ製作したアート船「ラッキードラゴン」夜にはドラゴンが火を噴いて航行する。人気のある展示となっている。

このモニュメントは、淀川と大阪湾で回収したごみで作ったと説明書きがしてありカメラを向ける人がおおかった。
復元された八軒家浜。大川南岸に八軒の家が軒を並べていたため名付けられた。かっては京都伏見と結ぶ三十石船の船着場であった。
大川は堂島川と土佐堀川に分岐し川口で合流している。この間が中之島と呼ばれている地域である。
なお現代の淀川は1910(明治43)年に掘削された川である。それまでは琵琶湖や京都からはこの大川を通り大阪湾に注いでいた。
IXY510IS