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阪急三番街 北向地蔵尊

 現代の都市風景とは全く異なり梅田東周辺が大きく発展したのは、明治7年(1874)5月に神戸と大阪を結ぶ鉄道が開通したことに始まります。それまで一面田畑で水路がいたる所に点在する風景が広がっていましたが、梅田停車場「梅田すてんしょ」(現在の大阪駅)が設置されたことで、周辺の開発が本格化して様変わりを見せ始めました。先に駅舎の建設の候補地にあがっていたのは「堂島」でした。船運の利便性も高く商業の中心地でありましたが、鉄道の敷設が住民の反対にあい、まちはずれのこの地に決まったのです。上古の大阪の歴史は埋め立ての歴史でもあります。近世には、下原(低湿地帯)に泥土を埋め立て、田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれるようになり、のちに「梅田」の字が当てられました。また、この地の産土神である綱敷天神社や露天神社に縁のある梅に由来するという説もあります。
 市街地から離れた野原だった、茶屋町の形成が始まったのは18世紀後半からといわれます。臨海の地で早くから発達した曾根崎村に比べ、その北に位置していた梅田東は、発展の時期を迎えるのが遅れたといえます。周辺は田畑でばかりの寂しい土地、都心部の大坂三郷の人たちが行楽におとづれ草花を愛で、観月を楽しむ憩いの地であったようです。一面、菜の花畑が広がっていたということが文書にも残されています。

 大阪のターミナル駅である阪急梅田駅の一階に北向地蔵尊が祀られています。その由来は1969年のこと。それまでは今の場所の東側、茶屋町に近かった。阪急電鉄の社内誌(69年)には「新阪急ホテルの建設により、北へ移転……さらに梅田駅拡張工事で、またホテル東側へ仮移転し…」「最終的には新駅一階のホテル寄りに遷座し、安置することに決まった」と記されています。
この付近にかって位置していた梅田墓地との関連は定かではないようです。

由来
此処に祭祀申し上げております御本尊は明治26年この付近の畑より掘り出されました自然石(高さ73センチ横26センチ)の地蔵尊でございます。
富時の地主仲谷弥三兵衛氏が世話人となられて同年10月16日に祭祀され爾来北向き地蔵尊ち呼ばれて多くの善男善女の崇敬を集められたのであります。
昭和44年11月現在の阪急電鉄梅田駅三番街が建設されるのに當此処阪急三番街地蔵横丁に北向きに建立して御本尊を御遷座申し上げたのでございます。
御遷座拾周年をお迎えいたしますに當り後世のためこの由来を謹書申し上げます。
合掌
阪急三番街北向地蔵奉賛会








 

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