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5月, 2019の投稿を表示しています

神戸北野 異人館ラインの館

北野異人館(旧レイン邸)ヴィクトリア様式で1900年に建てられた異人館です。非公開です。現在は決婚式場として営業されています。 静かで穏やかな建物です。 ラインの館(旧ドレウエル邸)。近くを通りかかるとリニュアルオープンした日で公開中とのことでゆっくり庭と館内を見学しました。 異人館街は、よく歩いているのですが意外と道の館もあろことに気づかされました。 北野・山本地区は明治以来、雑居地として発展してきたことから、洋風建築と和風建築が混在し、独特の町並みを形成してきました。結婚式場やレストランにも活用されパーテイに出席していますが。 明治・大正・昭和初期の33件の洋風建築物と7件の和風建築物を伝統的建造物として認定していますが、これら以外にも異人館をはじめとする伝統的遺産が現存しています。今後も撮影を楽しみたいものです。

奈良佐保路 海龍王寺  続

新緑の奈良の古刹です。 室町時代の山門と築地塀が極めて古寺の風格を感じさせられアングルを変えて撮影させられました。東大寺、興福寺から遠くもあり拝観に訪れる人は驚くほど極めて少なく静かなに満ちていました。 平城京に都が移された時の藤原不比等の邸宅であり、娘である光明皇后が邸宅を相続したことから皇后宮となった。天皇家の私寺院となり皇后宮廷内寺院として天皇家を支えていた歴史があります。海龍王寺は隅寺としてはじまった。 さらには平安京に都は移り鎌倉時代は、戒律の道場として存在したが、応仁の乱の影響を受け江戸時代には衰退し、天皇家ゆかりの歴史ある古寺も明治の変な廃仏毀釈で堂塔を失いその後は荒廃にまかされていたが、心ある人により昭和40年から西金堂、経蔵の解体修理を行い現在に至ると解説されています。 歴史の重みが古寺としての品格を感じさせられるようです。

奈良 佐保路 新緑の海龍王寺

海龍王寺は天平3(731)年、遣唐使として中国に渡っていた初代住持の玄昉が、一切経と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願い、光明皇后によって創建されたとも伝わっており、お寺の場所が平城宮の東北の隅に当たることから「隅寺あるいは角寺」とも呼ばれている。 玄昉が唐より帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際に、海龍王経を唱えたところ、かろうじて種子島に漂着し、奈良の都へ無事に帰ることが出来たことがきっかけで遣唐使の無事を祈願する寺院となり、現在も旅行・留学に赴く方々の信仰を集めている。 境内には創建当初からの建物である、西金堂(重要文化財)と、堂内に安置されている高さ4メートルの五重小塔(国宝)が残り、特に五重小塔は天平時代に作られた塔の中で、唯一現存している五重塔として価値が高く、西金堂とともに天平時代の建築様式を現代に伝える貴重な建物となっている。奈良時代の寺門勅額、鎌倉時代の経蔵、室町時代の山門、筑地塀と江戸時代に建てられた本堂には、鎌倉時代に造立された本尊の十一面観音立像(重要文化財)が安置されている。 国宝五重小塔、重文西金堂は「光明皇后宮内に残る唯一の奈良時代建造物」であり宮廷寺院の伽藍として現在まで残されている。 山門 本堂 五重小塔 本堂から境内風景 古都奈良の名刹新緑の海龍王寺です。 以前訪れてから数十年経過しています。その頃、荒廃した寺院は山門は閉鎖され伺いしれない状況で崩れた土塀の痛々しさだけの風景が残っていました。 まるで盛夏のような日差しを浴びて不退寺から一条通を東へ向かい山門を入ると鬱蒼とした木立の参道で心も体も癒された思いで境内にはいりました。 奈良時代から江戸時代までの伽藍と十一面観音像、文殊菩薩、愛染明王と本堂、金堂と参拝し古い歴史を偲びました。

阪神電鉄 香櫨園駅 GOGO灘五号 台湾号 

停車中のGOGO灘五郷 1000系ラツビング車 山陽電車 5000系台湾号ラツピング車 灘五郷、台湾号のラツピング車は聞いてはいたのですが撮影する機会はなか途中下車した香櫨園駅で撮影ができました。             

奈良 佐保路 新緑の不退寺 

新緑の美しい境内です。 訪れる人も少なく静かな境内は真夏日とは思えない風が流れていました。 花の寺とのことです。花や紅葉の時期に訪れたいものだと思いつつ辞しました。

奈良歴史の道 佐保路 不退寺

  佐保路、一条通より国道24号線の手前の道を北へ向かう少し離れた森の中にあり鬱蒼と茂ったみちを歩き続けると南門があり寺というより王朝風の優美さにあふれています。 平安遷都後に、平城京をなつかしむ平城天皇は、上皇として都を再び平城京に戻すことを画策されたが成功せず、嵯峨天皇に譲位し都を逃れてこの地に萱御所を営みました。 上皇の崩御後は、皇子阿保親王と在原業平が後を引き縦ぎ、承和14年(847)に業平自らが聖観音像を刻んで当寺を開基したのが始まりとされています。 別名「業平寺」とも呼ばれています。南門の四脚門〔重文〕は、鎌倉末期の建築で、古式豊かな造形は美術品かと思うばすーかりでした。さらに本堂は大仏様式の最後の形を保ち、本堂と多宝塔は室町時代の建築とされています。 本堂に入り参拝したのですが堂内にある本尊木造聖観音立像〔重文〕は業平の作と伝えられ、藤原時代の一木造、彩色の像です。鎌倉時代の五大明王像、阿保親王坐像、地蔵菩薩坐像と歴史を感じさせられる仏像が祀られています。江戸時代は寺領五十石で南都十五大寺とし法灯むが盛んでしたがその後衰退し昭和のはじめまで無住とのことでした。廃仏希釈の流れに耐えて貴重な仏像が残っていることは奇跡のようです。 自宅近くに伝阿保親王塚があり業平町、業平町と芦屋に馴染みのある在平業平ゆかりの地は全国にあるのです伊勢物語の作者でもあり六歌仙、三十六歌仙のが存在感のある歌人です。 現在は、南都花の寺としてれんぎょう、萩、睡蓮、もみじ、美男かずら、と四季の花が咲乱れる古寺としてしられています。今回は、花の季節には遅く新緑の古寺をしっかり楽しむことができました。  不退寺参詣後、一条通り西へ向かい海龍王寺、法華寺を参詣し炎天下を歩き平城宮跡へと向かいました。この日の気温は予想もしない33度と真夏日でしたが日陰を求めて狭い道を歩き続けました。 NikonD600    NIKKOR AF-S24-70mm1:2.8GED

大阪の水門 六軒家川水門

六軒家川水門 春日出橋から撮影。 六軒家水門管理施設 43号線の歩道から眺めた六軒屋水門の河口方。梅田方面が見える。             43号線の歩道から眺めた六軒屋水門 六軒家川、正蓮寺川はかっての中津川の支流で大阪の工業地帯の中心地で付近は0メートル地帯ですので高波対策と利水体系を管理している水門です。水門は敷地内にあり立ち入りできません。形式は、ローラゲート3門型で、径間は、主水門14m副水門8.5m。昭和44年3月完成しています。 淀川水系の研究ということで、訪問した際の画像です。高潮そして津波対策のために設置されていますが近くで見ると巨大さに驚かされます。

芦屋鉄道紀行 芦屋・甲南山手駅間 ER210-309 

青空に誘われての久しぶりの撮影です。金網が高く撮影ポイントはこの位置は、線路への扉がありかろうじて上部から撮影が可能なため時折撮影を楽しんでいます。 複々線のため時折新快速の電車と被さる場合があるのですが。

梅田貨物線 梅田第一踏切

福島よりには線路が掘り起こされ地中工事が行われているようです。都心の道路で特急列車や貨物列車が見られる風景は日本でも少ないのではないかと撮影しています。 晴天でしたので高層ビル街を背景に楽しく撮影できました。