情熱的な作品が多いと評される歌「みだれ髪」や日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名である。『源氏物語』の現代語訳でも知られる。歌集『みだれ髪』では、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い、浪漫派歌人としてのスタイルを確立した。伝統的歌壇から反発を受けたが、世間の耳目を集めて熱狂的支持を受け、歌壇に多大な影響を及ぼすこととなった。所収の短歌にちなみ「やわ肌の晶子」と呼ばれた。 君死にたまふことなかれ ああ、弟よ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ。 末(すゑ)に生れし君なれば 親のなさけは勝(まさ)りしも、 親は刄(やいば)をにぎらせて 人を殺せと教へしや、 人を殺して死ねよとて 廿四(にじふし)までを育てしや。 堺の街のあきびとの 老舗(しにせ)を誇るあるじにて、 親の名を継ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ。 旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事(なにごと)ぞ、 君は知らじな、あきびとの 家の習ひに無きことを。 君死にたまふことなかれ。 すめらみことは、戦ひに おほみづからは出(い)でまさね、 互(かたみ)に人の血を流し、 獣(けもの)の道に死ねよとは、 死ぬるを人の誉れとは、 おほみこころの深ければ、 もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。 ああ、弟よ、戦ひに 君死にたまふことなかれ。 過ぎにし秋を父君に おくれたまへる母君は、 歎きのなかに、いたましく、 我子(わがこ)を召され、家を守(も)り、 安しと聞ける大御代(おほみよ)も 母の白髪(しらが)は増さりゆく。 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかに若き新妻を 君忘るるや、思へるや。 十月(とつき)も添はで別れたる 少女(をとめ)ごころを思ひみよ。 この世ひとりの君ならで ああまた誰(たれ)を頼むべき。 君死にたまふことなかれ。 妙国寺南の府立泉陽高校の中庭には、この「君死にたまふことなかれ」の碑がある。前身の堺高等女学校が晶子の出身で、脚本
ブログを楽しむことにしました。 レンズをとおして切り取った画像で、季節のその時のその場の思いが伝えられることを願っています。スマホでも閲覧できるようになりました。 ⒸTokiwai