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2月, 2007の投稿を表示しています

町並

現在の芦屋のイメージとは異なり明治末頃までは農村でしたこの町にいまなお残る原風景です。この道が村の街道でした。 Sanjyo-cyo Ashiya

鍛冶屋駅跡

ドライブの途中に廃線となった鍛冶屋線の終着駅鍛冶屋駅駅舎と気動車が保存されていました。西脇市駅までの廃線敷は道路として利用されています。

甲子園口SL広場

JR甲子園口駅の近くに見える鉄塔は、戦時中、軍事物資輸送のため阪神電鉄が、1943年国鉄西宮駅から敷設した武庫川線の名残です。この鉄塔は国鉄の蒸気機関車の給水塔として使用されました。

Iwazono-cyo Ashiya

其中庵

自由律句の作品を創り続けた漂泊の俳人種田山頭火が1932年(昭和7年)から7年間結庵した藁葺きの小屋が復元された建物です。 JR新山口駅近くにあります。句碑も市内に建立されています。

城山

城山の愛称で親しまれている鷹尾山の標高200m地点です。駅から歩いて来ると展望のよい休憩スポットになっています。 この地は、500年前の山城鷹尾城の曲輪の跡ですが、この地に城があったことは知られていません。 Shiroyama Ashiya

中山夫婦岩

中山寺奥の院近くにある有名な夫婦岩です。原始宗教に関係があるものと推定されています。

石組

よく歩く道、排水設備が石で隠されていると推定しますが豊かな町、小さな点にも心配りされているようだ。勝ってに想像しています。 Higashiashiya-cyo Ashiya

磨崖仏

芙美子像

道路沿いに建てられています林芙美子像です。

護摩堂

六甲山登山と下山に利用される芦屋ロックガーデンの登山口にあり、休憩スポットとなっています。高座の滝もある狭い渓谷にありますが附近は物が雑然と置かれ風情をなくしていることが惜しい。清潔に保持して頂きたいものだと訪れる度におもっています。 Okuyama Ashiya

茅葺

古いネガからスキャンした画像です。

烏帽子岩

芦有道路へ向かう奥山精道線の水車谷を過ぎた貯水場跡の東尾根上に赤みがかった花崗岩が突きでています。 烏帽子岩と明治末の「西摂大観」に記載されています。 六甲山中には、名称がつけられた岩が多くあります。 Okuyama Ashiya

教行寺

西宮名塩にある寺院ですが石組みが城壁のように見えますが中世の戦乱の歴史が秘められています。

ふかきり岩

芦屋川の弁天滝の上部にある大きな岩で、旱魃に苦しんだ芦屋・打出の村人が雨乞いのため打出の浜でフカを捕らえ弁天岩へ投げつけるためにこの岩で切った。と記録されています。 水の神、弁天岩は血で汚れたたため洗いながすため雨を降らすと信じられていました。 Okuyama Ashiya

水神社

芦屋神社にある古墳に祀られている水神社。 水神社は、この弁天岩の下に祀られていたが明治42年の政府の政策により強制的に芦屋天神(現在の芦屋神社)に移転された。と記録されています。 山体、巨岩や巨木を神として信仰した人の歴史を無視する官僚の考えからでしょうか。

須原

信州旅行の際、車窓から冬の中山道須原の宿を撮影しました。30数年前のポジから起しました。

ろおじ

Higashiyama-cyo Ashiya

餘部橋梁

1912年(明治45年)3月1日2年の歳月と33万1000円の経費で架橋されました。 高さ41.50m橋長309.1mでトレッスル橋梁として日本一の規模を誇っています。1986年(昭和61年)12月列車転落事故が発生しました。2010年秋完成を目指してコンクリート橋に架け替える工事が計画されています。 餘部駅が開設されたのは1959年(昭和34年)鉄道開通50年後でした。その間隣駅までトンネルの中を歩くか船便を利用していました。

旧家

Sanjyo-Cyo Ashiya

阪神電鉄

講演会に参加のため尼崎駅に下車しましたが余りにも変わりようにカメラのテストを兼ねて撮影しました。

時計

Umeda Osaka

夫婦岩

奥山。精道線のヘャーピンカーブの間に道路に乗りだすように巨大な岩です。福岩とも親子岩とも言われています。この巨大な石も秀吉の大坂城の石垣に切り出そうとして血が流れで誰も切りだそうとしなかった。という伝説も残されています。 Okuyama Ashiya

詩碑

湯田温泉にある中原中也詩碑です。

日の出橋

車でよく利用する道路ですが、電柱や広告もなく景観の素晴らしい町です。 ROkurokuso-cyo Ashiya