桃山時代に独自の画風を確立した長谷川等伯の代表作「楓図」を、息子久蔵が「櫻」図を制作し国宝に 指定されている障壁画を鑑賞するために参観したのです。 宝物殿に入ると画面から飛び出さんとする楓の巨木表現は、紅葉の葉や木犀、鶏頭、萩、菊が色彩豊かに入り乱れる装飾的表現や、自然的躍動感に溢れる豪壮かつ繊細な描写は長谷川一門的大画様式とも語られる独自の様式であり等伯独特の自然に対する抒情性や美的敬意の念、狩野派への対抗意識の高さも感じられ心を奪われしばし立ち尽くししばし鑑賞させられた。 襖絵や屏風画はあちこち鑑賞していますが楓図、櫻図は圧巻でした。 この壁画は豊臣秀吉の三歳で夭折した長男、鶴松の菩提を弔うために建立された智積院の前身祥雲の客殿障壁画のひとつとして制作された画は、雄雄しく大地に立つ楓の巨木を描いた作品である智積院は1682年に大火事により建物が焼失し、幸いにも障壁画部分の大部分は焼け残った絵画とのことですが。金碧の背景に映える群青色で描かれた流水の流線の優美性、重量感を感じさせる画面下の岩の硬質性、生命感に溢れる巨木や草花の生命感が感じられる豪壮な障壁画だった。 智積院に残されている長谷川一門の金碧障壁画は、『楓図』『桜図』のほか、『松に秋草図』『松に黄蜀葵(とろろあおい)図』(いずれも国宝)、そして『松に梅図』『雪松図』『松に立葵図』などがあります。 近代に入って1947年にも火災があり、当時国宝に指定されていた宸殿の障壁画のうち16面が焼失した。と記録されている。 大書院には障壁画の京都文化協会とキヤノンが共同で取り組む社会貢献活動としてデジタル画像の複製かと思われる複製画も展示されているが力強さには及ばないとしても庭園とは調和していると感じさせられた。