大阪谷町「からほり」通りの町おこしの建物「萌」二階にある20㎡程度の狭い部屋ですが、悲しいかな大阪ではただ一箇所記念館ですが文学館と言える設備です。文学館への開設を進めていますが現在のこれからも大阪では実現にはほど遠い状況となっています。
直木三十五文学碑
展示室
記念館内の展示
遺品等が展示
書籍も多く展示
小さな部屋に整理された展示の数々
直木 三十五(なおき さんじゅうご、)は、小説家でありまた脚本家、映画監督でもあった。
現在、エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞(通称「直木賞」)は、彼に由来するのですが三十五自身については、ほとんど知られていません。
直木三十五(植村宗一)1891年(明治24)大阪市南九内安堂寺町に生まれ、記念館の側の小学校現在は廃校、市岡中学にかよいました。代用教員を経て早稲田へと進みますが、学費に困り中退。その後出版業務、雑誌の編集、映画製作をするなど多くの活動を行いました。
そして時代小説、大衆小説を執筆し「南国太平記」で一躍人気作家の地位を確立し600本以上の作品を書きましたが同時に病気や借金を抱え無頼で破天荒な人生を走り続け1934年(昭和9年)2月24日43才で生涯を閉じました。
亡くなった翌年の1935年、文藝春秋社長菊池寛により大衆文学の歴史を変える貢献として直木三十五賞が設立されました。
新人作家の登龍門として芥川賞とともに位置づけられ海音寺潮五郎、司馬遼太郎、永井路子などの作家が育っています。
直木賞が大阪由来であることを知って欲しいものです。
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