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剣岳 新田次郎山岳小説シリーズ


古いネガを整理していますと黒部渓谷の阿曽原温泉の露天風呂に浸かっている画像を見つけ懐かしさにふけりました。この行程は欅平から上の廊下を歩き阿曽原、仙人池経由劔沢から剣岳に向かう途中の画像です。当日も豪雨、翌日も豪雨と続き登山は中止しています。その後室堂から劔沢乗越へ向かい前劔経由でしたがこの日も豪雨、そして翌日もも・・・。
三度目はルートを変え馬場島から早月尾根経由で剣へ向かいましたがこの日も9月の氷雨に耐えきれず下山と。三度も計画し未踏におわり登山の計画もなく剣岳頂上へはたどりつくことは出来ませんでした。この時代も無謀な計画で遭難も多かったようです。小屋で停滞したときなど山荘の主と囲炉裏をかこんで山は逃げないからまた来なさい。無理は禁物だ。とよく諭されたものです。この時代山男や山女は存在したが現在のような山ガールやシニヤ層のように人が行くからとのような無責任な人はほとんど存在せず自己責任で山に入る人たちが多く話していても楽しかった。
失敗した歩くことの出来なかった青春の日の未達成の山歩きの思い出です。
そしてこの間に五月初旬に弥陀ケ原から雷鳥沢へ一ノ越、雄山と春スキーを二度楽しみましたがいずれの日も晴天であり白銀の雷鳥沢の豪快な滑降は今も目に焼き付いています。
昼食にフランスパン等を持参してガソリンコンロで湯を沸かし紅茶を飲むのですがパンは凍結しているため岩でたたき割って小分けして甘い紅茶に浸して食べたものです。そして温泉で湯に浸かることも楽しみでしたが下山すれば顔は赤黒く腫れ見るも無残な姿でした。
雷鳥荘の浴場で思いがけない出会いがありました。南極探検とエベレスト登山とサウスコルからのスキー滑降と会話が湯気でもうもうとした浴槽のどこからか聞こえてきました。あとで聞くと南極探検隊のガイド佐伯富男氏と後輩の三浦雄一郎氏とのことで破天荒な会話の内容になっとくした次第でした。
剣岳。そう言えばと思い出し映画化もされた「剣岳 点の記」を再読しました。点の記では主人公の柴崎と長次郎が歩き回った室堂、雷鳥沢、別山乗越、二股、早月尾根そして鷲岳、ザラ峠、立山温泉等々足跡を残した地名が登場し懐かしさはひとしおでした。
そしていつも愛用していた国土地理院の地図の測量の苦労について感謝した次第です。
「剣岳点の記」を読み古い小説があることを思い出し現在読み直しています。
新田次郎の小説は気象庁の技術者としてそして登山技術にも詳しくそして山に関わる人々の生き様を描き続けていたため画像に残した山岳小説も読了しました。新田次郎は山岳小説家と呼ばれることには拒否したとも語られてはいます。背景に山岳を舞台とした、山とともに生きる人々を描いたエンターティナメントの小説として確立した作家だと考えらます。
小説としては人物描写や展開が決まり切った表現が多く読みづらいとも思う時も多々ありますが豊富な山の知識は登山に明け暮れていた私には教えられることが多くありました。
孤高の人、槍が岳開山、富士山頂そして武田信玄等の作品が残されています。




現在の登山では信じられないほどの貧しい登山器具、装備、食料と情報機器等でありますがその登山の歴史を克明に記録されているので貴重な作品だと思っています。

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