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阿保親王塚






芦屋市東部の翠ヶ丘台地に平城天皇の皇子阿保親王が祭られているとの伝承がある阿保親王塚があります。
古墳の外形は周囲356メートル、面積7400㎡の方形の中に径36m、高さ3mの円噴があり周濠がめぐらせています。江戸時代の「摂津名所図会」には親王さんの森として描かれています。江戸時代に墓域を改修した際に発掘されたという三角縁神獣鏡などの古鏡などが埴輪も発掘され阿保親王の菩提寺親王寺に保存されていますが古墳の出土遺物については定かではありません。
調査の結果、古墳の築造時期は4世紀末とされ、阿保親王の逝去年代(842年)と著しく異なり500年前となります。この付近にかって四ツ塚古墳がありこの古墳が親王塚ではないかとも推定されています。今後の調査でいずれ明らかにはなるでしょうが・・・・・
緑豊かな木立がマンションに囲まれ奇跡的に残されていることは阿保親王塚として保存されたためであり、1500年近くの歴史にも感謝し散策の際にはお参りすることにしています。

NIKON D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2




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芦屋だんじりの歴史

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