1905年(明治38年)阪神電気鉄道により現在の本線が開業、打出駅と芦屋駅が設置されました。その後独自の沿線文化が育ち、阪神間モダニズムと後世になって呼ばれるようになりました。
芦屋(深江)文化村は、鉄道の開通後いち早く別荘地として芦屋川河口の西(神戸市東灘区深江南町)に位置していた。アメリカ人建築家ヴォーリズの弟子であった吉村清太郎が地元の医師から敷地提供をうけてアメリカ流のハウジングプランを練ったもので、大正末期から昭和初頭にかけて建設がはじまりました。
芦屋文化村の特徴は、中央に住民共有のローンヤードをおき、周辺に意匠の異なる洋風住宅を配した点である。建築の依頼主も滞米生活を経験した商社員をはじめ、貿易商、銀行家など、洋風ライフスタイルへの見識とこだわりから文化村を選んだ人々でした。
現在は駐車場やマンションに変わり4棟が阪神大震災にも耐えてここに残っています。
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