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正一位福永稲荷大明神 狐塚の由来 大阪の歴史を巡る 

大阪駅前再開発事業として1970年4月に完成した地上12階地下 6階の大阪駅前第1ビルの屋上に狐塚の祠かぜ祀られています。このビルは何度も訪れ食事もしているのですが存在を知りながらお参りは一度したのみでした。屋上からは大阪駅ビルヒルトン、丸ビル等の高層ビルに囲まれています。以外な大阪の歴史を伝えています。
その後、1976年11月に第2ビル、1979年11月に第3ビル、1981年8月に第4ビルが建設されています。地下1階、2階は飲食店や金券ショップが営業し賑わっています。また上層階はオフィスや地方自治体の大阪事務所等がありますがシャッター通りがあちこちに見られます。










祠の前に「狐塚の由来」が掲げられています。それによりますと

「当地に古くからの小さな丘があり野狐が栖としていた。平安時代末期の保延年間に源融公の十七代目に当たる渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎がが稲荷の祠を祀り一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビル敷地を東西に貫いていた曾根崎商店街通りを稲荷山通りと称していたのはこのためである。
明治初年には郷社露天神(当社の東方500メートル、通称お初天神)一座となったが明治42年の大阪北の大火でこの一帯が焼失したが、この祠だけが不思議にも焼け残ったのでせ当時の人々は焼けずの稲荷と呼んで畏敬した。
更に三十七代目の渡辺兼平の妻麻門は渡辺家が代々崇敬してきた天満宮の祠を建てて神域を整備したが、昭和20年3月14日の空襲により罹災した。
この由緒ある神域の復興を思いたった当地の中谷栄五郎氏らは旧知に小祠を再建し今日までお祀りしてきたが大阪駅前市街地改造事業施行法により移転を余儀なくされたので、地元有志が相集まり旧地上に建築された大阪駅前第1ビルの屋上を新しい神域と定め末長く地区の繁栄と守護を祈願することとした。 
                              昭和45年6月吉日
福永稲荷大明神奉賛会」
と刻まれた碑が建立されている。



この画像は、曾根崎心中の記事を作成するために調べた画像です。
狐塚は昔から地元の人達に愛されてきたものです。北の新地を少しでも外れると誰もいない、狐狸が住むような裏寂しい光景が展開していました。お初と徳兵衛は、北の新地から離れて、梅田墓や狐塚などを遠目に見ながら、曽根崎の森の中に入っていきました。

 NIKON D600    Nikkor20mm 1:3.5   



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