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大阪の古刹 堂島薬師堂

JR大阪駅からほど近い堂島アバンザのそばにミラーガラス127枚を組み合わせた直径7メートルの球体の御堂が周囲に円形の池を巡らし蓮の華をかたどったオブジェのある堂島薬師堂がある。
外装の黄金色のガラスは、御本尊の薬師瑠璃光如来に合わせている。正面には合掌をモチーフにした燭台アーチが設けられている。
ビル街に近代的な御堂であるがまわりの景観に溶け込んでいる。西暦593年推古朝に建立された歴史ある建物には見えない。
周囲はビジネス街でもあり北新地が位置しているが、堂島薬師堂奉賛会、北新地街づくり実行委員会の方々が毎年ここで節分まつり、お水取り、弁財天まつりを催されている。








堂島薬師堂由来の石碑が建立され、その説明によると

西暦593年推古朝の頃の資料に「東は玉造に四天王寺を作り西の方州の中に御堂を建立」の記録があるという。
また延寶三年(1615年)に書かれた古文書「芦分船(あしわけぶね)」にも「聖徳太子が四天王寺創建時に建築用材の運搬船が暴風雨で難破州の中に流れ着き、お堂を建てた」との記述がありこれが薬師堂の起源と言われている。
海上を航行する船からこのお堂がよく見えたところから薬師堂のある島が「堂島」の地名になったとも言われている。
お堂内には薬師如来像、地蔵菩薩像、弘法大師像など仏像4体と涅槃図など軸2本がお祀りしてある。
薬師如来像は室町時代の作と鑑定されているがその由来は定かではない。また弘法大師像は薬師如来像よりも歴史が古いと伝えられており、明治26年(1893年)からの大阪大師詣での行事では薬師像を第一番の霊場として1日 数十万人の参詣者で賑わうほどであった。
堂島薬師堂は堂島の世相、経済と連動しながら栄枯盛衰を繰り返してきた。現在は月2回の法要、節分の日に厄払い鬼追い行事を行っている。
平成十年三月
と古い大阪の歴史が記録されている。

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