2013年9月30日

夜の法善寺横丁



 






アルコールを全く受け付けない私ですがここでの飲み会で過ごしたこともありますがここで飲む機会もないのですが時々歩いてここの雰囲気を楽しんでいます。道頓堀や戎橋筋そして最近の心斎橋筋よりも落ち着いた雰囲気があるからです。女子会のメンバーも楽しそうに店を探しています。全長80メートル道幅僅か3メートルの路地ですが活気ある賑わいは歩くだけで楽しいものです。
ここで飲むことがでると美味しいだろうと思うだけです。飲むために大阪の文人達もよく訪れた記録もありますがさて現在はどうでしようか。
NIKON D600  AF-S   Nikkor20mm 1:3.5   NX2


2013年9月29日

道頓堀夜景







大阪ミナミ道頓堀の夜景です。御堂筋線の道頓堀橋から戎橋にかけて遊歩道があり対岸から浪速の名物看板をゆっくり撮影しました。クラシックレンズも対応ししてこれでもかとの表現に圧倒されますがさせに高精鋭度でも画像処理の難しさも見られました。戎橋の19時過ぎの混雑度は高く見物する人の感嘆の声も響き撮影も難しさもありましたがノーファイだーも駆使し久しぶりに夜景の凄さが捕らえられてようです。
NIKON D600   NIKKOR 20mm 1:3.5   NX2


2013年9月28日

亀岡 穴太寺








彼岸花の撮影後に西国三十三所第21番札所穴太寺に到着したの12時前で9月下旬に30度を越えていると恨めしく思いつつ日陰の涼風が届くベンチで座りこんで疲れを癒しました。
建立は奈良時代末期、慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立された古刹ですが建物は江戸時代の再建となっていますが格式ある寺院だと感じさせられつつ撮影したのですがコントラストが烈しく調整しても変化ももなくここでの撮影も満足できない状態でした。この寺は安寿と厨子王丸が山椒太夫に捕らえられ、過酷な責めを受けた時、安寿が厨子王丸を逃がし都へ上る途中、厨子王丸をかくまった寺の一つが穴太寺だったと悲話の伝説がいまなお語り継がれていることで訪れただけで満足しました。
すると境内に突然5.60人の何組かの団体で騒がしくなり拝観をする予定で待ち続けることはバスの時間もあり拝観できなかのは残念です。
NIKON D600   AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2

2013年9月27日

亀岡 彼岸花の里 曽我部 続





マイクロニッコールを持参していたのですが被写体が見つからず交換しては収納し撮影するチャンスがなかったのが残念でした。藁葺き屋根の形をした家屋や蔵のある家を背景に撮影したいと歩いたのですが花の痛みが烈しく実現出来ませんでした。
平地付近は田園地帯がひろがり道路も整備されているのですがこの地のみ彼岸花が群生しています。少し離れると本数は極めて少なくなています。人為的に植えられたのでしょうか。

NIKON D600   AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2

2013年9月26日

亀岡 彼岸花の里曽我部






 亀岡市の彼岸花の里をはじめて訪ねました。残念ながら昨日の厳しい陽射しでほとんどの彼岸花は日焼けし色は白くあせて見るも無残な景観を目にしました。炎天下でした田園地帯の田んぼの畔をそろりそろりと歩き色あせしない彼岸花を探しもとめました。
彼岸花は群生し色づいた稲と山々ののどかな風景は見事そのものでした。
来年度は必ず訪れて大きな彼岸花が醸し出す豪華な風景を撮影したいものです。
NIKON D600   AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2


2013年9月25日

EF65・DD51 甲南山手駅






国鉄時代の機関車が牽引する貨物列車です。09月14日の撮影です。

 NIKON D600  AFVR  Zoom NikkorED 80-400mmf4.5-5.6  NX2

2013年9月24日

8866列車 EF641047 芦屋駅







久しぶりにD3で撮影しました。重くもありD600を使用していて戸惑うこともありましたがかえって撮影しやすいことに驚かされました。
5年前の機器とはいえ性能はさすがです。デジカメは画素のみが高級機の証であるとはいささかも信じていなかったのですが・・・・・それにして現在のデジカメは複雑ですね使いこなすのに撮影経験と知識と技術と研究心が幅広く求められようです。
腰痛をこじらせ遠出も出来ず散策」をかねて近くで撮影を楽しんでいます。

NIKON  D3  AFVR  Zoom NikkorED 80-400mmf4.5-5.6  NX2

2013年9月23日

文学周遊 織田作之助 夫婦善哉

夫婦善哉を残したオダサク生誕100年ということで織田作之介の記念行事が行われています。オダサクの創作活動はわずか7年で33才で短い生涯を駆け抜けた。オダサクゆかりの地を訪ね画像もありゆかりの地を訪れてみました。 

「法善寺たとえば法善寺は千日前にあるのだが、入口が二つある、道頓堀からの入口が一つある。難波新地からの入口が二つある、どの入口から入って、どこへ抜けようと勝手である。はいる目的によって、地理的に便利、不便利によってどうもくりこもうと、勝手である。誰も文句はいわない。

 しかし、少なくとも寺と名のつく以上、れっきとした表門はある。千日前から道頓堀筋に抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間に、その表門がある。
 表門の石の敷居をまたいで一歩はいると、なにか地面がずり落ちたような気がする。敷居のせいかも知れない、あるいは、われわれが法善寺の魔法のマントに吸い込まれたその瞬間の、錯覚であるかもしれない。」
と作之介は表現しているが難波新地から千日前はわかるが表門は定かではない・・・・・
夫婦善哉店 
織田作之介代表作の「夫婦善哉」の終章には、
・・・・・ 柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形(おたふくにんぎょう)が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯(おおぢょうちん)がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。・・・・・・
 作之介は、ミナミと言われた難波新地の法善寺界隈をこよなく愛していた。


阿多福人形(おたふくにんぎょう)
自由軒のカレー店

今なお人気がある。この時久しぶりに食べようと思ったのですが人出の多さにあきらめました。


口縄坂近辺を歩くと作之介が下駄履きの着物姿で現れても不思議ではない空間がある。

織田作之助は1913年(大正2年)10月26日 生まれ。1947年(昭和22年)1月10日)病没。通称「織田作(おださく)と親しく呼ばれる。
無頼派の作家として坂口安吾、太宰治、織田作之助を中心に、石川淳、伊藤整、高見順、田中英光 檀一雄などを指し旧来の私小説的リアリズム、および既成文学、戦後社会への嘲笑、退廃の肯定等の全般への批判が見られ物語的高層を多く用い戦後風俗を描いた。
一群の日本の作家たちを総称する呼び方。象徴的な同人誌はなく、範囲が明確かつ具体的な集団ではない。新戯作派とほぼ同義だが、現在はこの呼称が一般化している。

正弁丹吾亭  織田作之介 歌碑

        行き暮れてここが思案の善哉かな      織田作之助
 織田作之助作「夫婦善哉」の中にも紹介のある正弁丹吾亭の意味は「正(ただ)しく」「弁(わきま)える」「丹(まごころ)のある」「吾(わたくしども)」の「亭(みせ)」作之介の存命中はこの店に作家仲間とよく訪れたという。