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10月, 2013の投稿を表示しています

芦屋秋まつり だんじり巡行 夜の阪急芦屋川駅 

  地車巡行も2日目となり皆様お疲れの様子でしたがかけ声も勇ましく地車小屋へと向かわれています。十日間程度は疲れがひどく今年が最後だと思いますが来年になれば参加するでしょう。と語ってくれました。 地車愛好会の方々の懸命な努力で伝統行事が江戸時代前後から引き継がれていることを知って頂きたいと思っています。  NIKON   D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2

EF64 8866列車さくら夙川駅

久しぶりのさくら夙川駅においての撮影です。 曇り空でしたが8866列車撮影の際にはハイビームで露出不足となりそうでしてが数枚でおさまりした。マニュアルで撮影すべき条件だったようです。   NIKON   D600  AFVR  Zoom NikkorED 80-400mmf4.5-5.6  NX2

芦屋秋まつりだんじり巡行 阪神芦屋駅踏切  三条・山之町地車

阪神電車芦屋駅踏切を巡行するだんじりです。阪急電車の踏切も渡る巡行もありのどかな風景でありいずれ撮影したいと思っています。 両日も晴天に恵まれて曳く人々も暑さもありましたが快適に祭のために寄与されていたようです。   NIKON   D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2

芦屋秋まつりだんじり巡行 業平橋 山之町・西之町・三条地車

芦屋川左岸を三基のだんじりが精道町の練り回しの行事のため巡行中の国道2号線を横断する光景です。交通量も多く警察官の監視のもと順調に横断していきました。 台風襲来と日程が噛み合わず今年は秋薔薇の撮影が出来ず残念ですがだんじり巡行は四回にわたり8㌐近く撮影しましたので当分掲載を続けたいと思います。  NIKON   D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2

芦屋だんじりの歴史 続

    だんじり巡行の撮影を楽しむようになったが、打出、精道、三条は現在も町名が残っていて理解できるのですが、山之町、西之町の名前の由来が何故かなのかと疑問だった。 調査して見ると芦屋市は1940年(昭和15年)11月市制実施された。それまでは精道村とよばれていました。精道村は明治22年4つの村(打出・芦屋・津知・三条)が合併して発足した。 地車に残っている「三条・打出・精道」は既に明治の頃から地名として続いている。 芦屋村には5集落(浜芦屋・茶屋芦屋・東芦屋・西芦屋・山芦屋)があり、現在この5集落の名前は全て町名として現存している。 ただ茶屋芦屋が茶屋之町に変わっている。 茶屋芦屋が「茶屋之町」に変わっていることから西芦屋と山芦屋が昔「西之町」「山之町」と通称として使用されていたことと推定して疑問が解消したが文献を調査して確認したいと思っています。     西之町地車(西芦屋)の運営は西之町地車同好会。現在の西芦屋町・月若町・西山町あたりが該当します。大阪型(外ゴマ・三枚板式)。大正6年吹田市新町新調。昭和59年購入。大工は大歳。彫師は平間勝利とされています。先代は戦災で焼失。  西之町地車  精道町 西之町地車   東芦屋町 三条地車(三条町、三条南町)、平成元年にこの三條に今一度だんじりを復活させようと有志が集まり三條地區地車愛好會を結成し平成2年の秋祭に西宮戎神社の若戎会の手作り地車を借りて38年振りの巡行をし、平成3年に泉佐野市の下瓦屋南地車を購入、平成15年(2003)7月6日、購入入魂式。4代目。西宮市名塩東之町より購入。大工は不詳。彫師は相野一門。長さ6m。幅2、7m。高さ3、8m。 初代は江戸後期か明治初期に創始。他村の資料では明治12年が最古の資料なのでこの時にはあった。大正初期に解体された。   三条地車 業平町 三条地車  精道町 精道地車(津知・浜芦屋)で運営は精道地区地車愛好会。 大阪型。外ゴマ・二枚幕式。平成5年尼崎市築地大官町より購入。大工、彫師 等は不詳。長さ5、6m。幅2、5m。高さ3、5m。飾り幕は梶内近一の作で「宝珠を取る夫婦龍」。見送り幕も梶内近一の作で「素盞鳴命八岐大蛇退治」。ともに平成12年1/10に神戸市東灘区御影西之町より購入した。

芦屋だんじりの歴史

戦前まで芦屋市内には8基のだんじりがあった。打出(かっては4基)、津知、三条の旧村落に1基、芦屋村の山芦屋、東芦屋 西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋の5集落の5基だった。 これらのうち、三条、津知の両村は近世以前、本庄9ケ村と称して現在の神戸市東灘区区域の村々(森 中野 小路 小路 北畑 田辺 深江青木)とともに保久良神社の氏子として、古くは5月13,14日の祭にだんじりを曳いていた。 打出のだんじりは10月17日に打出天神社の祭に、他の5基は10月15,16日の芦屋神社の祭に巡行が行われた。 このうち山芦屋、打出の2基は現存する。津知、西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋のだんじりは戦災で焼失し、東芦屋は解体、三条は売却された。 打出のだんじりは、近年まで天神社の祭日に境内南方のだんじり倉から出されて飾りつけられていたが、ここ数年は巡行が有志の手で復活された。  打出地車 翠ケ丘町 打出地車 親王塚町 一方山芦屋では、交通事情や曳き手不足で昭和36年から48年には地車曳きは断続的になった。しかし昭和48年山之町地車愛好会が結成され、今日では10月15,16日にもっとも近い土曜、日曜日に市内巡行が続けられている。山之町のだんじりは、明治9年製で明治40年頃兵庫区から購入されたもので、正面には素戔嗚尊ま大蛇退治、泥幕には義経の八艘跳や近江八景 脇障子には源平の敦盛と熊谷などの彫刻を持っている。また後方の小屋根の下には、賎ケ岳の戦いや加藤清正の虎退治が彫られている。だんじりは、昭和53年に大修理が行われた。また、装飾幕が2枚あり、古い方には龍や牛若丸、新しいのは南北朝の忠心(楠木正成 新田義貞 児島高徳)の図が描かれている。   山之町地車  阪神芦屋駅前 山之町地車  精道町 だんじり内では、太鼓 2丁鐘 半鐘が入り地曳きに際して、出発、廻る、前進、後退、宮入り 地囃子 の六種だんじり囃子が奏される。 1979年当時は芦屋市のだんじりは2基が現存していた。と30年近くの古い資料ではあるが芦屋の生活文化史(1979)にだんじりの歴史が記録されている。 その後の推移として記録すると 打出地車、打出地車愛好会が運営、神戸型。昭和9年(1934)10月16日、新調入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は

フラワーアートミュジューアム2013 続 大阪ステーションシティ

訪れた日は曇り空で撮影が終わると陽が差して少しは明るくなったようです。平日で訪れる人は少なかったのですがビルの7階に相当する高さですが緑があると優しい雰囲気が見られます。 sony   NEX-5   E18-55      F3.5-5.6   OSS

フラワーアートミュジアム2013  大阪ステーションシティ時空の広場

大阪駅時空の広場では7色40種類、計2万ポット以上の四季折々の花がを彩っています。 なかには球根ベゴニアやインプレシアなどの珍しい花も見られます。所要の合間に撮影しました 駅の上とは思えない光景ですが、駅ビルを少し入れて撮影してみました。手入れが大変なようで担当者が丁寧に手入れをしていまたした。 sony   NEX-5   E18-55      F3.5-5.6   OSS