2013年9月23日

文学周遊 織田作之助 夫婦善哉

夫婦善哉を残したオダサク生誕100年ということで織田作之介の記念行事が行われています。オダサクの創作活動はわずか7年で33才で短い生涯を駆け抜けた。オダサクゆかりの地を訪ね画像もありゆかりの地を訪れてみました。 

「法善寺たとえば法善寺は千日前にあるのだが、入口が二つある、道頓堀からの入口が一つある。難波新地からの入口が二つある、どの入口から入って、どこへ抜けようと勝手である。はいる目的によって、地理的に便利、不便利によってどうもくりこもうと、勝手である。誰も文句はいわない。

 しかし、少なくとも寺と名のつく以上、れっきとした表門はある。千日前から道頓堀筋に抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間に、その表門がある。
 表門の石の敷居をまたいで一歩はいると、なにか地面がずり落ちたような気がする。敷居のせいかも知れない、あるいは、われわれが法善寺の魔法のマントに吸い込まれたその瞬間の、錯覚であるかもしれない。」
と作之介は表現しているが難波新地から千日前はわかるが表門は定かではない・・・・・
夫婦善哉店 
織田作之介代表作の「夫婦善哉」の終章には、
・・・・・ 柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形(おたふくにんぎょう)が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯(おおぢょうちん)がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。・・・・・・
 作之介は、ミナミと言われた難波新地の法善寺界隈をこよなく愛していた。


阿多福人形(おたふくにんぎょう)
自由軒のカレー店

今なお人気がある。この時久しぶりに食べようと思ったのですが人出の多さにあきらめました。


口縄坂近辺を歩くと作之介が下駄履きの着物姿で現れても不思議ではない空間がある。

織田作之助は1913年(大正2年)10月26日 生まれ。1947年(昭和22年)1月10日)病没。通称「織田作(おださく)と親しく呼ばれる。
無頼派の作家として坂口安吾、太宰治、織田作之助を中心に、石川淳、伊藤整、高見順、田中英光 檀一雄などを指し旧来の私小説的リアリズム、および既成文学、戦後社会への嘲笑、退廃の肯定等の全般への批判が見られ物語的高層を多く用い戦後風俗を描いた。
一群の日本の作家たちを総称する呼び方。象徴的な同人誌はなく、範囲が明確かつ具体的な集団ではない。新戯作派とほぼ同義だが、現在はこの呼称が一般化している。

正弁丹吾亭  織田作之介 歌碑

        行き暮れてここが思案の善哉かな      織田作之助
 織田作之助作「夫婦善哉」の中にも紹介のある正弁丹吾亭の意味は「正(ただ)しく」「弁(わきま)える」「丹(まごころ)のある」「吾(わたくしども)」の「亭(みせ)」作之介の存命中はこの店に作家仲間とよく訪れたという。
 


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