2012年11月30日

MwrryXmas京都駅







京の夕べの宴のあと京都駅は車で八時頃には必ず到着するので、駅ビルでは大階段にクリスマスツリーが飾られ今年は階段にLEDのイルミネーションがありすこしづつきらびやかになっていくようです。
京都タワーとクリスマスツリーを撮影することが定例になりそろそろ今年も終わりかと思いつつ電車の客となりまとた。

NIKON D3000 AF-S  DX Nikkor18-55mm 1:3.5-5.6 GVR   NX2

2012年11月29日

嵯峨野散策


嵐山秋色
小督の局塚
宝厳院山門
羅漢像 宝厳院
広沢池に写る遍照寺山
広沢池
宝厳院の山門付近の紅葉は素晴らしく連休後の平日にかかわらず人ごみでごった返していたのには驚かされました。天龍寺境内を通り抜け釈迦堂へと向かいましたが時間切れとなり仕方なくこの時期体調も崩し何かと雑用に追われ時間にも制限され残念ながら今年の紅葉の撮影も終わりかと思いつつタクシーで広沢池へと向かいました。
そして池畔で撮影を少し楽しみ会場の部屋へ入りました。
ここ広沢池では毎日のように夕景の撮影をする人が多く今日も集まって情報交換をしている話が聞こえました。
NIKON D3000 AF-S  DX Nikkor18-55mm 1:3.5-5.6 GVR   NX2

2012年11月28日

渡月橋秋雨





京の嵯峨野での定例の集いが26日に開催され豪雨との予想でしたが少し早めにでて渡月橋付近で曇天でしたが撮影しました。
曇り空でしたが嵐山の紅葉は見栄えし普段とは異なる風景が見られました。直指庵、厭離庵と紅葉の撮影を計画していましたが訪れは早くさして天候も望めないため今年の紅葉はあきらめざるを得ないようです。
本日の行事で23日、25日と続いた都市ホテルでの二度とも30数名を越える会合ではかってないほど充実した会との感想で終わり幹事の役も果たしほっとした思いでした。準備のため体調も崩し内視鏡検査も受け過ごしたことの見返りかと思いつつ傘を手にして雑踏の人ごみをかき分けてのんびり歩いて会場の料亭へと歩きました。
そして今日久しぶりにアップできました。
NIKON D3000 AF-S  DX Nikkor18-55mm 1:3.5-5.6 GVR   NX2


2012年11月24日

京阪石山坂本線 近江神宮前駅

 三井寺駅
 近江神宮駅
 近江神宮前駅
 近江神宮前駅
 近江神宮前駅
坂本駅
浜大津駅から近江神宮行きに乗車ししばらく撮影しましたが、偶然パト電のラッピング車が到着したため撮影できました。
石山坂本線ロケーションに恵まれているため撮影を楽しめるようです。
sony NEX-5  E18-55      F3.5-5.6   OSS


2012年11月23日

京阪電鉄 京津線

 大谷駅付近
 大谷駅
 逢坂付近
 上栄町付近
併用区間
 浜大津駅到着
山科駅から乗車したのですが大谷駅付近から撮影可能となり浜大津駅まで撮影しました。40メートルの曲線区間をレール散水装置もと狙ったのですがこの区間曲線と勾配もきつく揺れが激しくそして露出の変動も大きく失敗作がつづきました。
併用区間この道路は利用することもありましたが4両の運転は大変なようでした。
sony NEX-5  E18-55      F3.5-5.6   OSS


2012年11月22日

水掛不動尊 法善寺

 心斎橋近くに所用があり夕暮れ近くでしたが久しぶりにと法善寺を訪れました。この時間道頓堀は人も多かったのですがここは静かでした。10数枚撮影すると電池切れとなり残念ながら切り上げました。
米軍の空爆で伽藍はすべて全焼し壊滅しましたが不動明王のみが残り現在に至ったとのことです。不動明王と水掛けについてお寺の由緒も調べてみました。



金毘羅堂
夫婦善哉 
ここで一度だけ味わったことがありますが機会を見つけて食べてみたいと思っています。
碑が建てられていることに気づき読むと、がたろ横丁・・・という言葉に、ずっと以前テレビで聞いた歌謡曲の一節だと思い出しましたが誰の歌かと思い出せず調べて見るとフランク永井という歌手だと知らされYouTubeで確認できました。こり頃の大阪は繁栄していましたね。住職さんもファンなのでしょうか・・・


不動明王は不動尊ともいいます。大日如来の教令輪身(きょうれいりんしん)であって、火焔を背にして右手に剣を取り、左手に縄を持って憤怒の姿をしていられます。中野不動尊のご本尊は両側に矜羯羅童子と制多迦童子の脇侍が立っています。
何故水を掛けるかは根拠がないが、水を掛けることは、火に水と全く相容れない物に考えられるが、本来は供え物の意味で、「助けて下さいお不動さん。たのんまっせ、お不動さん」と心を込め縋り付く思いで願いを届けお供えしているのである。
また、体の部分に水を掛けるのは、病気平癒・悪魔降伏や願成就・煩悩滅尽の願いを込め縋り付く思い出水を供える意味である。治して下さいと願い、自分の煩悩や悪い災難事を裁ち切り、願いを込め掛けるられている。と寺の由緒では説明されています。





   sony NEX-5  E18-55      F3.5-5.6   OSS

2012年11月21日

大塩平八郎の旧跡



            洗心洞跡と大塩平八郎顕彰碑
顕彰碑には、次のように刻まれています。

大塩平八郎中齊の家塾    洗心洞旧跡
 大塩平八郎は、寛政五年(1793)に大坂大塩家の八代目として、初代からの屋敷であったこの場所で生まれた。初代は六兵衛成一といい、名古屋にある本家の大塩波衛門義勝の三男であって、大阪町奉行所付きの与力となり、代々その職を継承してきた。平八郎は七歳の時父母に死別し、祖父母の育てられ一四歳で早くも与力見習となり出仕した。成年に達した後、祖父政之丞の跡を継いで与力となり、天保元年(1830)三十八歳のとき退職して、養子格之助にその職を譲るまで、二十数年間与力の職にあり、清廉潔白かつ学識ある名与力として多くの功績を挙げ、その名声は天下に聞こえた。
 平八郎は、青年時代に三度び人生観の転換があり、遂に王陽明の学問に心酔して、二十四・五歳頃から自邸で儒学の講義をしていたが、文政八年(1825)学塾を開き「洗心洞」と名付けた。洗心とは、易経繋辞伝に「聖人此レ以テ心ヲ洗ヒ、退イテ密に蔵す」とある文から採り、洞というは塾舎の意味である。屋敷内に講堂と塾舎を設け塾生を寄宿させ、通学生と共に日夜文武両道を教授した。その門弟は、四・五十人に達したという。学風は非常に厳格で、子弟の名分を正し、知行合一の実学を重んじた。号を中齊裁と称し、著書に「洗心洞箚記」の外数種の名著があり、その他の詩文も名作である。
 天保八年(1837)前年よりの飢饉によって、難民が多く出たことを見るに見かねて、一身を犠牲にして救民運動と政治党醒運動を起こしたが、事遂に成らず、同年三月二十七日靱(大阪市西区)において格之助と共に自刃した。行年四十五歳であった。付近には砲弾により裂かれた槐が残っている。
 今ここに大阪市が記念碑を建てられるに当たり、その由来を略記してこれを顕彰するのである。 
 なお、大塩平八郎父子の墓は、大阪市北区末広町成正寺にある。        
造幣局



与力門
大塩の乱跡 砲弾に裂けた槐の記念碑
大塩平八郎終焉の地 大阪市西区靫本町
天下の台所大坂で、しかも元幕吏によって起こされたこの事件は、幕府にも、一般市民にも大きな影響をあたえました。この「大塩の乱」の決起は僅か半日で失敗に終わったが、幕藩体制崩壊の重大な契機となり、民衆に呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。
 大塩の行動は新しい時代の訪れを告げるものであり、30年後の大変革である明治維新の先駆けの役割を果たし、近代国家日本の誕生に 結びついた役割の大きい事件であった。
 とかく損得勘定にさとく犯罪の発生とその加熱報道などから、「恐い」「柄が悪い」などの悪いイメージが持たれているが、これは大阪でも現在も打ち消すことはできない事実ではあるが。
 しかしかつては普通の人間である与力という下級役人大塩平八郎のような気高い人物も存在していたことを知ってほしい、そして少しでも誰かがこの歴史から学んでほしいものだとと願う。
 そして迫害されねつ造され抹殺された史実を見直し墓所造営、顕彰碑そして研究部会の設置などが行われその名は現代も語り継がれている。
 

2012年11月20日

日吉大社 山王鳥居

 山王鳥居 神仏習合の鳥居で合掌鳥居とも言われます。今回はこの鳥居と紅葉の撮影が目的でした。
 重要文化財大宮橋
 重要文化財大宮橋
 大宮川と神木
日吉大社は魔除けの対象として神猿という猿が祀られ「魔が去る。何よりも勝る」と大切にされています。
紀元は2100年前とされ古事記にも登場する比叡山の山の神とされています。古式豊かな由緒ある神社は歩くだけで人工的な巨大なだけの神社にはない心穏やかな思いがさせられました。
NIKON D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2



2012年11月19日

日吉大社 西本宮紅葉


 



東本宮から西本宮へ向かい撮影を続けました。紅葉が少しちぢれているようでした。時期的には見頃ではと思いつつ撮影し東本宮へと向かいました。

NIKON D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2