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関西の民鉄

阪神と山陽、近鉄は相互乗り入れされ最近では阪神線には各社の車両が見られます。阪急と大阪地下鉄、近鉄と京都地下鉄、京阪と京都地下鉄などの相互乗り入れ区間もあり交通体系はより充実しています。JRには北近畿タンゴ鉄道、智頭急行が乗り入れしています。
しかし、大阪経済圏の地盤沈下は激しく誰一人将来展望も描けないため鉄道の経営状態も改善の兆しがないようですが企業努力により交通網の充実が図られています。

山陽 阪神芦屋駅

京阪  野江駅
近鉄 大阪難波駅
智頭急行 京都駅
大阪市交通局 阪急淡路駅

NIKON D3000  DX AF-SNIKKOR 18-55 1:3.5〜5.6G ISO400RAW
CANON power ShotPro1

コメント

KONDOH さんのコメント…
おはようございます。
智頭急行という列車、先頭車両の塗装がなんとも鮮やかですねぇ。
こういう車両は撮影し甲斐がありそうです。
kousei.hata さんの投稿…
ディーゼル車両特有のエンジン音のする少しうるさい振り子式気動車で大阪・鳥取間を最速で結ぶ特急スーパーはくと号として運転されています。
JRの列車では比較的目立つカラーですので京都・大阪ー鳥取・倉吉間で撮影されています。時々併走する時もありますが撮影したことはありません。北近畿タンゴ鉄道の特急タンゴエクスプローラ号も撮影したいと思っています。

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芦屋だんじりの歴史

戦前まで芦屋市内には8基のだんじりがあった。打出(かっては4基)、津知、三条の旧村落に1基、芦屋村の山芦屋、東芦屋 西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋の5集落の5基だった。 これらのうち、三条、津知の両村は近世以前、本庄9ケ村と称して現在の神戸市東灘区区域の村々(森 中野 小路 小路 北畑 田辺 深江青木)とともに保久良神社の氏子として、古くは5月13,14日の祭にだんじりを曳いていた。 打出のだんじりは10月17日に打出天神社の祭に、他の5基は10月15,16日の芦屋神社の祭に巡行が行われた。 このうち山芦屋、打出の2基は現存する。津知、西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋のだんじりは戦災で焼失し、東芦屋は解体、三条は売却された。 打出のだんじりは、近年まで天神社の祭日に境内南方のだんじり倉から出されて飾りつけられていたが、ここ数年は巡行が有志の手で復活された。  打出地車 翠ケ丘町 打出地車 親王塚町 一方山芦屋では、交通事情や曳き手不足で昭和36年から48年には地車曳きは断続的になった。しかし昭和48年山之町地車愛好会が結成され、今日では10月15,16日にもっとも近い土曜、日曜日に市内巡行が続けられている。山之町のだんじりは、明治9年製で明治40年頃兵庫区から購入されたもので、正面には素戔嗚尊ま大蛇退治、泥幕には義経の八艘跳や近江八景 脇障子には源平の敦盛と熊谷などの彫刻を持っている。また後方の小屋根の下には、賎ケ岳の戦いや加藤清正の虎退治が彫られている。だんじりは、昭和53年に大修理が行われた。また、装飾幕が2枚あり、古い方には龍や牛若丸、新しいのは南北朝の忠心(楠木正成 新田義貞 児島高徳)の図が描かれている。   山之町地車  阪神芦屋駅前 山之町地車  精道町 だんじり内では、太鼓 2丁鐘 半鐘が入り地曳きに際して、出発、廻る、前進、後退、宮入り 地囃子 の六種だんじり囃子が奏される。 1979年当時は芦屋市のだんじりは2基が現存していた。と30年近くの古い資料ではあるが芦屋の生活文化史(1979)にだんじりの歴史が記録されている。 その後の推移として記録すると 打出地車、打出地車愛好会が運営、神戸型。昭和9年(1934)10月16日、新調入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は

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