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マンボウ

「マンボウ」という言葉は谷崎潤一郎の細雪の中で道案内の際使われていますが語源ははっきりしていません。坑道のことをかって「間歩」ということからなまってマンボウになったという説もあります。京阪神間に多く平野部の築堤を走る鉄道線路の下に多く見られ現在も残っています。目的は橋りょうでは水路跡とされています。明治にはいり鉄道建設の際外来語の言葉が日本語に表現しやすいように言い換えられたという説が有力です。
琵琶湖疎水の南禅寺の水路ではねじりネジリマンポとも云われています。
語源について調べて見たいものです。

甲子園口駅・西宮間の庄川洪渠 身体をかがめて一人歩くのがやっとですれ違いは不可能です。ここでは煉瓦壁は残っています。


甲子園口駅・西宮間の庄川洪渠。ここは一番狭く譲り合いつつ歩行せざるを得ない低さです。
甲子園口駅・西宮間の庄川洪渠。線路建設でコンクリートとなっています。道路面からはるかに低く水路跡だと言うことが理解していただけると思います

西宮・さくら夙川駅間 細雪に登場する平松橋梁 国道2号線寄り入り口
西宮・さくら夙川駅間 平松橋梁 
煉瓦壁ははほとんど塗装され見えません。そして落書きがあちこちに見られます。単車も自転車も降りて通行する人は少なくマナーを守る人は少ないようです
さくら夙川・芦屋間 東皿池橋梁
原形はネジレマンボウですが塗装され構造は全く確認できません。立って歩けないにもかかわらずここでも自転車通行は絶えない所です。
ここも道路面よりはるかに低い暗きょが通路となっています。

マンボウは西宮市にのみ残り貴重な存在ですが事故等も発生しているようで掲示等が多々あります。

コメント

KONDOH さんのコメント…
こんばんは。
なにかこちらではあまり見られない風景を拝見しました。
いろいろな名残りのようなものって結構あるものですね。
拝見すると年代を経ているようですし。
kousei.hata さんの投稿…
ほとんど136年前の大阪・神戸間の鉄道開業時、1874(明治7)年以前に建設された施設です。
阪神間の平野部では水不足ため稲作のための水路として建設されて残り住宅地となり4線区間に阻まれ通行できないために近道として利用され続けています。いずれも20メートル以上もあるトンネルです。

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