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井笠鉄道記念館

井笠鉄道は、岡山県笠岡市に本社を置くバス会社ですが、説明掲示によりますと1913(大正2)年11月17日井原・笠岡間、同10月25日北川・矢掛間で開業、その後、大正14年井原・高屋間、高屋・神辺間7.8キロの神高鉄道を買収し37キロに及ぶ鉄道を営業していましたが、道路交通網の充実により1971(昭和46)年3月に鉄道営業を廃止しました。
その営業駅であった新山駅の駅舎を利用し鉄道記念館が1981年に開設され展示されています。
鉄道と井原・矢掛・高屋は山陽道つまり西国街道の宿場街であり米穀・養蚕等の産地でありその地と軽便鉄道により結ばれていました。
鉄道記念館入口
道路の反対側から見た駅舎

1号客車と1号貨車
1号機関車と転車台
展示車両
元新山駅舎の駅事務室は鉄道機器の展示室
はじめて1000円高速を利用し福山市と井原市の親戚訪問をしました。
その帰途、時間があり天候にもめぐまれたので井笠鉄道記念館に立ち寄りましたが、
20世紀初頭の軽便鉄道の車両が保存されていることに驚かされました。
産業考古学会の準産業遺産に指定されているとのことです。元社員の方が管理されているようですがこの方も表彰されています。

所在地 岡山県笠岡市山口
    JR笠岡駅からバス45分
    山陽自動車道笠岡ICから10分
NIKON D3000 DXAF-5NIKKOR18-551:3.5-5.6G

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