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8月, 2009の投稿を表示しています

岡本の洋館

瀟洒な建物は見ているだけで楽しい思いをさせられる。 今年の真夏の選挙、歴史が変わることを教えてくれたようだ。一人一人の力で国を支えていることを実感出来たのではないだろうか。

大阪駅工事風景

大阪駅の工事風景を神戸方面の下りホームから携帯カメラで撮影した。撮影条件に恵まれれば使用できることを再確認させられた。 高層ビルの新築・改築工事などを見ていると不況が嘘のように思える。この画像はデジタル撮影である。 大阪駅近くにある大阪中央郵便局跡に高層ビル建設が始まる。このあたりの風景は一変するであろう。

谷町

熊野街道を求めて歩いていると古い商家が戦争に耐えて残っているが開発の谷に埋もれて静かなたたずまいを町に漂わせている。 数少ない大阪の風景である。

京阪電車

千林駅 千林駅 森小路駅 渡辺橋駅 渡辺橋駅入口 親しい先輩の病気見舞いに伺いその後京阪電車で渡辺橋へ向かう途中駅で京阪電車を始めて撮影した。 昨年10月に天満橋から中之島まで新線開通していたが利用したことがなかったため乗車した。 複々線区間で電車回数も多く形式の異なった電車が運行されていた。駅間も短く鉄道車両も珍しくもありまたアングルも決めやすく平日であっても多くのマニアがカメラを向けていた。 青空が広がればカラフルな電車が楽しめる鉄道である。

大阪駅改良工事

大阪駅周辺は駅工事とともに阪急、阪神百貨店等が改築され大きく変貌しかっての面影は次第になくなりつつある。 おりに触れて撮影しその状況を記録している。

大阪駅改良工事外周

梅田貨物駅が更地になり迂回道路を回り建設中のビルを撮影してみた。 2ヶ月経過で大きな変化が見られ。大きなビルが次第に姿を現している。高層ビルがここに立ち並ぶのであろうか。 6月18日撮影 8月18日撮影 6月18日撮影 8月18日撮影 6月18日撮影 8月18日撮影

豊臣秀次像

豊臣秀次(1568〜1595) 豊臣秀吉の姉の子として生まれ、18歳にして近江43万石の大名として八幡山城を築き城下町を開くとともに子のない秀吉の養子となり関白を継ぎ、信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開いた。 自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座を施行、城の防御である八幡堀を琵琶湖とつなぎ、往来する船を寄港させるなど、秀次はわずか5年の間、商いのまちとしての繁栄の基盤を築いたのでした。その後秀頼が生まれ後継者争いに敗れ自害するが、近江八幡が商都として反映させる基盤をつくり今でも親しまれている。

芦屋地蔵盆風景

24日の地蔵盆風景を撮影した。この三体の地蔵尊は個人の家が管理され祀られている。それぞれに趣があり見て歩くことは楽しい。 提灯の明かりと地蔵尊を今後の課題としたい。 24日は地蔵盆であり街角に祀られている地蔵尊の前では行事がもたれていたので散策の途中に撮影した。

ウィンドウ

19日の画像と同様ですが、大阪梅田で撮影したものです。この画像はオーソドックスなものですが掲載したのは、この画像を見て一瞬はてな?と思い横位置であっても縦位置であっても何の違和感もなくインパクトのある絵として使用できるファッションカメラマンの構図に感嘆させられたため撮影したものです。 タウンウオッチングの楽しみが増えました。

神戸海岸ビルヂング

海岸ビルヂングは神戸市中央区海岸通にある歴史的建造物として国の登録有形文化財として指定されている。 この通りは車でもよく走りすぎる石造りのビルが続く好ましく思える道である。ただし阪神控訴間やパイパスの高架道路が視界を遮るのが面白くないが。 旧日濠会館とも称され兼松房治郎が創業した貿易会社兼松商店(現兼松の前身)の本店として1911(明治44)年煉瓦造、花崗岩張り、地上3階として建設された。

La Santa Maria

復元帆船サンタ・マリア号の説明板が横に添えられている。興味深い文書であり全文掲載することにした。 1492年ジェノヴァ生まれのコロンブス(1451年〜1506年)は現在の西インド諸島のサンサルバドル島に到達しました。 ヨーロッパ世界がアメリカ大陸に到達したのは、このときが最初であり大航海時代の始まりであるといわれています。 それから500年目にあたる1992年その航海に使用されたサンタ・マリア号を可能な限り忠実に復元し、コロンブスが目指していたと言われる黄金の国ジパングへ向けての実験航海が(財)サンタ・マリア協会により行われました。 1991年7月13日スペインのバルセロナ港を出港し290日間、35.000㎞の航海を経て1992年4月28日神戸港に入港いたしました。 ヨーロッパ世界では、コロンブスのアメリカ大陸への航海の頃から新航路が次々と開拓され盛んな通商活動を通じて世界的規模の貿易が行われるようになるなど、経済の拡大が始まり商工業も急速に発展しました。 またアメリカ大陸の金、銀がヨーロッパに大量に流入した欠か価格革命がおこり物価が急騰するなど社会経済に大きな影響を与えました。 このように世界商業の重心は地中海から大西洋に移り独自の文化ほ持つ諸地域が結ばれヨーロッパ世界の優位のもとに世界の一体化が始まりました。 しかし一方ではこの航海を発端としてアメリカ大陸にはアステカ帝国やインカ帝国などが滅ぼされたのを始め、先住民に対して虐殺や搾取を繰り替えされこの地域を植民地化しました。 さらに植民者は領主となって先住民を金銀の発掘や大農場の経営のために強制労働させるなど酷使しました。これらの侵略活動や過酷な労働のほかヨーロッパからもたらせた流行病のため先住民の人々は撃滅したと言われています。 以上のように大航海時代にはヨーロッパ世界が一挙に拡大いたしましたが、これには世界の一体化と同時にアメリカ大陸をはじめ地球上の各地で植民地化が進むなどの歴史的事実があったことを忘れてはなりません。 神戸市は、このサンタ・マリア号の復元船を当初の造船、操船、航海技術を知る貴重な資料としてまた、近代史を問い直し21世紀の世界文明のあり方を考えるためのよすがたとしてここに保存します。                          1996年4月                       

大阪駅改良工事

大阪駅の工事が進捗しいる。27Fより駅ホームを眺めても電車はほとんど見えない。暑い夏の日差しに焼け付くような鉄板が見えるのみである。 日増しに全容が現れてくる。 同じような風景が続くが完成まで撮影したいと考えている。

ウィンドウ—

携帯カメラで撮影。飾られている画像に街路樹の緑が映り込み女性の美しさが浮き立ち幻想のような画像にできあがった。

メリケン波止場

日本国認定近代化産業遺産 1868年に明治政府が兵庫港第3波止場として開設された。 1987年に波止場の西側一帯が埋立てられてメリケンパークとなり、神戸の異国情緒を表す場所として映画のロケなどにも使われている。その後1995年に発生した阪神・淡路大震災により、波止場であった場所が崩壊。現在、崩壊した状態で一部が神戸港震災メモリアルパークとして保存されて公開されている。 メリケンシアターの碑 明治29年(1896)、日本初の外国映画が花隈の神港倶楽部(しんこうくらぶ)で上映されたことと、チャップリンが神戸に訪れた時この場所に上陸したことを記念して、昭和62年(1987)、「メリケンシアター」の碑が作られました。石の窓をスクリーンに見立てたその前には、42個の黒い御影石が観客のように並んでいます。石の一つ一つには、神戸出身の映画評論家、淀川長治氏が選定した国内外の有名映画スターの名前が刻まれている。 メリケン波止場の入り口に小さな石塔があり、そこに神戸税関萬國波止場とメリケン波止場の金属の名称板がはめ込まれ 昔なつかしめりけん波止場 ころは明治のはじめ ここに小さな突堤があり その先に浮き桟橋があった 近くにアメリカ領事館があったので 人びとはアメリカ桟橋となまって メリケン波止場と呼ぶようになった のち神戸港は出船入船が繁くなり 世界的に発展したので その玄関口として長い立派な突堤を築いた 世人はここを神戸の名所の一つとして メリケン波止場とよんで親しんでいる      州崎善夫      小野光吉

静かな空間で語らうのは心休まる時間であろう。それとも書を読むか。 Asahigaoka-cho Ashiya

鉄道の旅(3)

阪神三宮駅下りホーム 阪神武庫川線 阪神御影駅 阪神御影駅 阪神打出駅 阪神電車はほとんど利用する機会はなく沿線を訪問する際できるだけ利用することとしている。 阪神カラーの電車に混じり阪神なにわ線が開通後近鉄との乗り入れがはじまりカラフルな車両が運転されている。すこし遠慮がちに撮影している。